Radical Every Life
 一つの物語の終わりと、次の物語の始まりを盛大に祝うのは、セントラルの大通りにこれでもかと降り注いだ色とりどりの紙吹雪。








 新しい大総統の為の就任式典の準備は急ピッチで進められてきた。キング・ブラッドレイの退陣が伝えられたのはつい三日前だ。勿論極秘裏に引継ぎは大総統府で始まっていたが、それでも大多数の軍人はそれを知らなかったのだから、あちらこちらで大騒ぎになったのも無理はないだろう。

 新しい大総統は若干二十歳の青年。

 それだけでも話題性は十分だというのに、加えて彼は誰もが認める美貌と知性と強さを兼ね備えた、正に天からも祝福された存在だった。鋼の錬金術師の名を知らない者は、恐らくアメストリス国全土に数えるほどしかいないだろう。
 軍部のみならず、少なくともセントラルの市民は大いに浮かれ騒いでいた。彼が国軍中将であった頃から鋼の名はセントラルを守る支えだったが、それが遂に一国を守る支柱となるのだ。

 誰もが歓呼の声を上げて新しい大総統の誕生を祝福していた。街中に花が飾られ、飲むわ歌うわ踊るわのどんちゃん騒ぎが繰り広げられている。理由が理由だけに軍部もあまり厳しく取り締まれないらしい。
 と言う以前に、むしろ軍部の方がはしゃいでいるのかもしれなかった。特に、これから新しい主を迎える大総統府が。





 着慣れた青い軍服とももうじきお別れかと思うと、少し感慨深いものがあった。そう長いこと着ていたわけではないが、それでもこの四年間ずっと着ていたものだけに多少の愛着はある。

 大総統と呼ばれることに抵抗がないわけではない。元々自分が求めていた地位などではなかった。軍に関わるようになったのも、ある意味ではとても利己的な理由からだった。
 何を犠牲にしたとしても自分の無知のせいで失ってしまったものを取り戻す、それは子供だったからこそ抱くことが可能な純粋さだったのかもしれない。

 とは言っても、もうエドワードは過去を悔やんでなどいなかった。自らの犯した罪を忘れることはないだろう。あの時禁忌を犯さなかったとしてもロイと出会うことはできただろう。
 けれど。あの時あんな強烈な出会い方をしたからこそ、今の二人の姿があるのだけは間違いがない。

 果てしない目標を掲げ、立ち止まることすら恐れながら国中を兄弟二人で旅した。楽しいことも辛いことも数限りなくあったけれど、それすらも今の自分にはかけがえのない宝となって残っている。

 ならばもういいのではないかと思うのだ。ロイに愛され彼を愛することができた、もうそれだけで。心から幸せを謳うことができるから、もうそれだけで。
 他に望むことは何一つない。

 アルフォンスを自分の運命に巻き込んでしまった罪悪感は恐らく生涯消せないけれど、彼が楽しそうに笑っているから。僕も幸せになるから兄さんも幸せになってと、最愛の弟が微笑んで言ってくれたから。
 悔やむことなど何一つないのだ。

 これから背負うことになる沢山の命を思うと正直不安ではある。自分の命令一つで多くの軍人を死地に追いやることになるかもしれない。意に染まない命令を下すこともあるだろうし、これから先もきっと自分は誰かの命を奪うのだろう。
 それが軍人の務めだと判っている。だからせめて、自分の心にだけは嘘をつかないように生きていきたい。

 今日が最後だと思って、午後の執務に就く為にジャラジャラと勲章の付けられた上着をエドワードは手に取った。勲章は流した血の量だということを忘れなければ、きっとこの先も道を間違うことはないだろう。
 そう信じて、明日軍の最高の地位へと辿り着く。

「……柄じゃないんだけどな」

 そんな言葉は苦笑いと一緒に心の奥底に沈めて。





 エドワードの大総統就任と同時に副総統に任命されることが決まっているロイは、翌日に控えた就任式典とパレードの準備に余念がなかった。とはいえ本人がそう思っているだけで、殆どのことは彼の前をスルーして決められていくのだが。

「大尉、パレードのコース選定はどうなっている?」
「問題なく終了しております。警備の方も総統府の部隊と中央司令部、憲兵司令部との打ち合わせも完了し、明日の本番を待つだけです」
「では式典の方はどうだ? 彼に相応しい花の手配は済んだのか?」
「セントラル中の花屋に連絡を入れてありますからご心配なく。それよりも准将、お暇なのでしたらデスクに積んである書類の決裁をお願いします」

 引継ぎがあるのは大総統閣下だけではないんですから、冷たい声でホークアイに言われては流石のロイも引き下がらざるを得ない。渋々自分のデスクに戻り書類の処理を始めた。
 確かに彼女の言う通りである。第一部隊を率いるポステ大佐がロイの後任となることが決まっているが、流石にこんな大量の書類を笑顔で押し付けるのは酷というものだろう。

「……いよいよだな」
「そうですね。ですが准将は本当にこの結果で満足してらっしゃるのですか?」
「どういう意味かね?」

 怪訝そうな顔を隠すことなく、ロイはサインをする手を休めずに問いかけた。僅かに口ごもってからホークアイは続ける。

「確かに賭けに負けたせいでこの結果にはなりましたが、准将がどんな思いで上を目指すと誓ったのか私は知っていますから」
「……そのことは申し訳なく思うが、私個人としては非常に満足しているよ。彼の隣にいられる、今の私にそれ以上望むことはない」
「藪蛇でした」

 これ以上惚気られるのはごめんだとばかりにホークアイはその場で会話を打ち切り、仕事があるのでと言い置いて執務室を出て行った。彼女は明日からもロイの副官として、大総統府に異動することが決まっている。
 今回の件があってますます頭が上がらなくなったが、それも仕方のないことなのだろう。エドワードに拳一発で許してもらえたことの方が奇跡のようだ。

 窓を開けなくても執務室まで聞こえてくる、エドワードを寿ぐ無数の声。それを聞いて自分のことのように嬉しく思えるのだから、この結果に何よりも満足しているのが自分自身なのだと胸を張ってロイには言える。
 ただ一つ難を言えば。あれから一度も彼とデートらしいことをできていないことか。国中に顔と名前が知れ渡った彼とは、そう簡単に出かけることもできなくなる。
 それだけがほんの少しだけ残念だった。





 式典が行われる大総統府の大ホールで、ハボック達も明日の準備に追われていた。椅子をセッティングし、垂れ幕を飾り、花を飾りつける。勿論エドワードとロイの直属の部下だけがその作業をしているわけではないが、胸にこみ上げる思いは他の軍人達とは段違いの重みと深みがあった。
 彼らとてずっとこの日を待っていたのだ。ロイが、そして途中からはエドワードが軍部の頂点に立つこの日を。

 彼らは全員中央司令部に残留することになっているが、それでも二人を祝う思いに偽りはない。ロイが記憶を失ったと聞いた時は本気で腹が立ったが、それでもエドワードの心痛を思うと何も言うことはできなくなった彼らだ。
 そして今、エドワードがロイを綺麗に許してしまった以上、どうか幸せであれと祈ることしか彼らにはできない。

 彼らの送る生涯にどうか幸多かれと。

 そしてついでに、自分達にも早く春が来ますようにと。








 この日は恐らく居合わせた全ての軍人と、全てのセントラル市民にとって忘れられない一日となるだろう。
 新大総統就任式典は、セントラル中からかき集めたのではないかと思われるほど大量の花が飾られた壇上での、エドワードの就任挨拶で始まった。幾分、型破りの。

「俺は、こんなところで偉そうなことを喋ることのできる人間じゃない。償いきれないほどの罪を犯したし、戦場では沢山の命を奪いもした。英雄と呼ばれてもいるが、結局は大量虐殺者だからな」

 来賓席にはエドワードが直々に招待した、イシュヴァールの老師達の姿もあった。傷の癒えたマクスの姿もそこにはある。

「戦場での絶望も希望も、心ない軍人に虐げられる国民の姿も俺は見てきた。だからこそ俺は新しい軍を作りたいと思った。古い悲しみや憎しみを忘れることなく、新しくそれらを生み出すことのない軍を作り上げたい」

 だが、言ってエドワードは壇上から客席を見渡した。その金色の瞳には揺らぐことのない焔が宿っている。

「それは俺の力だけで成し遂げることはできない。だからここに列席した者全ての力を貸してもらいたいと思っている。新しき世に栄光のあらんことを!」
「エルリック閣下万歳!!」

 唱和する声に乗り、無数の軍帽が宙に舞った。轟く声は大ホールを満たし、そのまま外へと奔流となって溢れ出していくようだ。

 自らも軍帽を脱ぎ、エドワードは壇上で静かに頭を下げた。





 パレードは大歓声をその全身に浴びながらつつがなく終了した。始終笑顔を貼り付けていたので多少顔の筋肉が引きつりそうにはなっていたが、それでも全ては無事に終了した。
 今は祝辞を素直に受けておくべきだろう。

 大総統府に入ったエドワードが最初に下した命令は、一年前の事件の後に投獄されていた金色の女神のメンバーを全員釈放することだった。命令書を自らの手で作成し、牢へも自ら赴いた。

 式典に参加した五人のイシュヴァール人の老師と共に訪れた彼に、二十人のメンバー達は驚きを隠せない表情で呆然とエドワードを見つめている。今までの軍ならば絶対に彼らを釈放したりなどしなかっただろう。
 だがエドワードは自らの約束を忘れるような人間ではなかった。

「軍が預かっていた二十の命を約束通りアンタに返すよ、マクス老師」
「閣下……、宜しいのですか?」

 背後より同行したロイが尋ねるが、それに一つ頷いて彼は誰をも魅了する美しい笑みを浮かべた。太陽を崇拝するイシュヴァールの民にとって、彼はイシュヴァラの化身にも等しい。

「すまなかった、軍を代表して謝罪する。アンタ達が償いを軍に求めるのは当然のことだ。マクス老師、俺は教会での約束を忘れていない。だからもう一度この場で誓うよ。絶対にアンタ達が平穏に暮らせる場所を用意する」
「エド坊……、あぁ、忘れてなどおらんとも。約束じゃ」

 固い握手をエドワードとマクスは交わした。勿論、釘を刺すことは忘れなかったけれど。

「ただし、釈放するのはこれが最後だ。次にテロ行為を仕掛けるようなことがあれば、俺は俺の信念に基づいてその人間を処断することになる。例外は許されない。それだけはどうか忘れないでくれ」

 これより半年後、かつてイシュヴァールの激戦があったその場所に彼らの新しい都市が復興することになる。エドワードが軍の頂点に立つ間、両者の間に新たな戦火が交えられることはなかった。

「憎しみはそう簡単には消えないだろう。だけど、どうか新しく生まれてきた命には平和の大切さを教えてやって欲しい」

 無益な戦で散らされる命など、もう見たくないから。残される人達の嘆きを、もうこれ以上聞きたくなどないから。

「時代は変わるってことを、アンタ達の目で見届けて欲しい。そしてもしもアンタ達に軍が不当な行いをするようなことがあれば、テロなんて起こす前に真っ先に俺に知らせてくれ。俺は絶対にそんな行為を許しはしない」

 世の乱れを正すには、まず軍部の綱紀粛正から始めなければならない。特定の派閥に属していなかったエドワードは、だからこそ多くの腐った軍人達の姿も見てきた。旅の最中、それこそ彼自身そんな軍人達に迷惑を被ったことも多々ある。
 今まで思ったほど敵はいなかったが、これから先はきっと雪だるま式に増えていくだろう。政敵という名の獅子身中の虫が。

 しかしそれを駆除しないことには軍部が生まれ変わるなど有り得ないのだ。新しい時代など作れる筈もないのだ。後ろ暗いところのある者達は今頃戦々恐々としているだろう。戦いはむしろ始まったばかりなのである。

「俺はまだ若造だけど、この先何が起こるか判らないけど、どうか見届けて欲しい」

 数十の赤い瞳に見つめられて、それでもエドワードは真摯な表情を崩さなかった。本気で、本音で彼らに語りかけていた。立場こそ違え同じ人間同士である、僅かでも歩み寄れない筈がないのだから。








 中央司令部の門を出るところまで彼らを見送り、エドワードは背後に立つロイを僅かに見上げた。これから先、確かに何が起こるかは判らない。けれど彼が傍にいるのであれば何も恐れることはないだろう。

「さーて、副総統。戻って仕事するか。まだ人事問題も完全に片付いたわけじゃないからな」
「それよりも閣下、一つお伺いしたいことがあるのですが」
「? 何だよ、改まって。アルの処遇か? アイツは機関長に就任するって決まってるだろ?」
「いえ、そうではなく」

 そこでロイは意地悪そうな笑みを閃かせて、わざわざエドワードの耳元に唇を寄せ囁いた。低い、それでいてセクシャルな声音で誰にも聞かれないように。

「その香水はどうしたんだ? 以前の君はそんなもの付けていなかったと思うが?」
「! こ、これは……!」

 瞬時に首まで真っ赤になったエドワードに、周囲を警護していた軍人達が怪訝そうな顔を向ける。だが隣に立つロイの姿を見て何となく納得したようだった。エドワードとロイが親しいのは軍部でも公認の事実である。
 この程度の騒ぎ、今更誰も気にしない。むしろ喧嘩をしている方がよほど心配になるというものだ。

「私と同じ香りを身に纏うほど寂しかったのかね?」
「これはっ! そう、これは戦場で血の匂いを隠す為に仕方なく……!」
「そうか、血臭隠し……ね。ならばわざわざ同じ銘柄を選んだ理由は? 香水など他にも幾らでもあるだろう?」

 段々腹が立ってきて、思わずエドワードはロイの胸倉を掴んでいた。照れ隠しであることは明らかに判るのだけれど。

「五月蝿い! 判ってるなら言わせんな!」

 クックック、漆黒の瞳を細めて笑うロイが憎らしい。手を離しフンと顔を背け総統府に向かって歩き出す。その後を追いながら、颯爽と前を歩くエドワードにロイは声をかけた。

「閣下! 今度ゆっくりお茶でも如何ですか」
「だーっ、そんな暇があるなら仕事しろ、仕事!」

 こんな会話を大勢の軍人の前で繰り広げている二人。もしかすると二人の関係を気付いている者もいるかもしれないが、そんなこともきっと二人には全く関係ないのだろう。

 周囲がどう騒ごうと、結局日々は続いていくのだ。確かに荒れ模様の日もあるだろうが、結局は互いが幸せならば全て良しなのだ。

 それは誰の上にも訪れる、Radical Every Life(過激な日常)。




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