君の残した爪痕
 夏至を控え、中央司令部はすっかり不夜城と化していた。エドワード率いる遊撃隊のみならず、情報部、軍法会議所、憲兵司令部に至るまで総員を挙げて警戒に当たっている。
 中でもヒューズのいる軍法会議所は、ブラッドレイの命令書を盾にハクロとザクロの身辺に捜査の手を伸ばしていた。早晩にでも彼らの身柄を拘束することが可能と、連絡が既に入っている。

 デスクの上にセントラルの地図を広げ、エドワードはその一画をじっと睨みつけていた。マクス老師から聞き出した情報から割り出した金色の女神の拠点は、もう幾つか攻略済みである。しかし老師はあくまで被害者だから、テロリスト達の計画の全貌を知っているわけではない。
 その証拠に、未だ逃亡中の元国家錬金術師ウルソ・ガーディは発見できていないのだ。現時点では完全に後手に回ってしまっている。

「……もしも俺がヤツだとしたら……」

 ギシッと椅子を軋ませてエドワードは立ち上がり、大きく開かれた窓に向かった。陽光が燦々と照って彼の金の髪を煌めかせる。夏至を過ぎれば夏まではもう僅かだ。

「逆恨みがヤツを動かす最大の理由だとしたら……」

 次に狙われるのはどこだろう? 誰を狙えば、その昏い復讐心は僅かなりと満たされるのだろう?
 暫く考えていると、執務室の廊下に面した扉が叩かれた。時計を見れば時刻は正午少し前、国家錬金術師機関から定期便の届く頃合である。
 サイドデスクに積み上げられた書類の山に目を落とした時、ふと気になる紙の束をエドワードは発見した。

 付箋の貼られたそれは別段珍しくもない、国家錬金術師試験の受験申請書だった。論文と一緒になっているそれを、山を崩さないように丁寧に抜き出す。
 一応機関長を兼ねている彼は、資格申請と査定関連の書類だけはどれだけ忙しくても最優先で処理するようにしていた。だから今回も、いつもと同じように論文を手にしてソファに座った。

 読み進めるうちにエドワードの眉が寄る。お世辞にも上等と言えるレベルのものではなかった。爆発物を扱ったそれは明らかに稚拙で、良く言っても二番煎じといったところだ。ここ最近爆弾騒ぎに閉口していたエドワードは静かに溜息をついた。
 理論にも目新しいものは何もない。第一、この分野で国家資格を取ろうと考える方が無謀なのである。軍には既に、焔の錬金術師ロイ・マスタングがいるのだから。

 国家錬金術師を志す者ならば、恐らく知らぬ者はないだろうその名。あえて彼に挑もうとするのは、自らの技量によほど自信があったのか、それとも世界の広さを知らないのか。

 とりあえず最後まで論文に目を通し、もう一度申請書類を手に取る。その時、僅かな違和感をエドワードは覚えた。それは直感のようなもの。軍人として生きるうちに身に付いた、勘とも言うべきもの。

(……何だ? すげぇ嫌な予感がする……)

 だが書類は正規のものだし、論文だって何の変哲もない市販されている紙に書かれているだけだ。別に不自然なところはない。紙から僅かに漂う硝煙の臭いも、火薬を扱った論文ならば考えられないことではない。……しかし。

 何かがエドワードに警告を発しているのだ。それを無視するのは、恐らく得策ではない。

 腰を据えてもう一度彼は書類を検証することにした。もしもこれが、資格取得とは全く別の意図で提出されたものであると仮定するならば、その意図とは一体どこにあるのだろう?
 罠と仮定するのは早計だろうか?

「エラール・ディグソ……か」

 申請者の名前を声に乗せた時、エドワードの脳内で小さな火花が弾けた。デスクに戻りメモ用紙とペンを用意すると、そこに思いついたことを書く。

 Eral Diguso(エラール・ディグソ)

 それを一文字ずつ消去しながら並べ替えていく。するとそこに現れたのは全く違う、だが既に馴染みとなった一つの名前だった。

 Ulso Gardie(ウルソ・ガーディ)

 バタン、大きな音を立てて執務室を出ると、そこで待機していた第三遊撃隊の主要な面々が何事かとエドワードを見つめた。だがそんなことなど意に介さず彼は言う。

「アル、准将、それからアームストロング中佐。今から俺と来てくれ」

 エドワードの厳しい表情から何かを読み取ったのだろう、三人は疑問を口にすることもなく迷わず席を立ち彼に続いた。司令部を出たその足で国家錬金術師機関へと向かう。陽光が暖かく降り注いでいる。眩しげに金の瞳を細め、余人には聞こえない声音でエドワードは後ろに付き従う三人に言った。

「ガーディが動いた」
「次の標的はまさか機関なんですか?」
「……確証はないけどな」

 アルフォンスの問いに頷き、鋭い視線を機関の建物に向ける。国家錬金術師機関は、セントラルにある軍事関連施設の中で唯一、軍服を着用していない人間がいても可笑しくない場所だ。受付から奥に進む為に必要な身分証明は基本的に銀時計のみ。
 勿論それだけでは閉鎖エリアに進むことなどできないが、後見人またはある程度の地位にある人物の許可証があれば、そこも問題なくクリアできるだろう。

 そして……ウルソ・ガーディはその両方を持っている可能性が高いのだ。彼が資格を剥奪された三年前に、彼から銀時計が返還されたという記録はどこを探してもなかった。当然だ、彼は資格剥奪と同時に指名手配され、現在も逃亡中なのだから。
 ガーディの後見人であるハクロ少将は公に手配されているわけではないから、万が一その許可証をガーディが持っているとすると、彼は機関にフリーパスで入れてしまうのだ。





 受付で本日の来館者リストをチェックすると、朝の早い時間にエラール・ディグソの名前があった。退館時刻も記載されているから、それを信じれば本人はもうここにはいないことになる。

 四人は機関のロビーに立ち、ぐるりと辺りを見回した。東と南の二面に大きく窓が取られたロビーは、軍の施設とは思えないほど明るく開放感に満ち溢れている。観葉植物と来館者用のソファがセンス良く配置されているのも特色の一つだ。

 突然現れた高名な錬金術師四人組に、周囲から遠慮なく好機の視線が突き刺さる。だが彼らの纏う雰囲気のせいか、誰も声をかける者はなかった。

「……鋼の、何故ここだと?」
「あー、そうか、悪い。説明してなかったな」

 言ってエドワードはポケットから二つの名前を記した紙片を取り出し、三人に提示した。このタイミングで気付けたのも、実は奇跡に近い。

「俺のところに資格申請書類と論文が一式、エラール・ディグソの名で届いた。論文自体は大した出来でもなかったから、最初はさして気にも留めなかったんだけどな」
「何となく違和感があったと?」
「そう。で、今日もヤツはここに来ていた。銀時計と、恐らくは許可証まで携えてな」

 その意味するところを瞬時に悟り、三人は表情を硬くした。それはつまり、既にこの建物内に爆弾が仕掛けられている可能性があるということだ。

「建物内を俺達で調べる。アルと中佐は一階、准将は二階、俺が地下。万が一爆発物を発見したら速やかに処理すること。間に合わないようなら館内放送を入れて周囲の人間を誘導しながら退避。いいな?」
「Yes , Sir!」

 三人は敬礼でエドワードに応え、自分の持ち場に散って行った。機関は三階建てだが、最上階はエドワード本人又は大総統の許可証でもない限り、極一部の人間でなければ足を踏み入れることが禁止されている。かなり警備自体厳しいから、そこは除外しても構わないだろう。
 地下には実験室や研究室が並んでいる。もしも建物自体の崩壊を目論むのであるならば、エドワードならば間違いなく土台であるそこを狙うだろう。

 敬礼を向けてくる職員達に律儀に返礼しながら階段を下りる。二枚の重い鉄の扉を潜ると、そこは一階とは全く違う風景が広がっていた。細い廊下の両側にずらりと研究室が並ぶ。使用中の部屋には、扉の上部の赤いランプが点灯する仕組みになっている。

 その研究室を一つずつ慎重にチェックしていく。とは言っても、自分の目で全てを調べていたら日が暮れるので、少しだけズルをして錬金術を応用したが。
 右手奥から二つ目の部屋に入った時、思わずエドワードは脱力した。そこは調べるまでもなく、爆弾のオンパレードになっていた。

 中央に置かれているのは時限式のもので、表示されている残り時間から換算すると、爆発予定時刻は明日の正午。つまり夏至当日、太陽が天頂に到達する瞬間だ。
 部屋中至るところに置かれた大小様々な爆弾は、恐らく中央のそれが爆発すると同時に連鎖反応を起こして被害規模を拡大する為のものだろう。造り自体は雑だが、これに気付かなかった場合は確実に機関は崩壊していた。その執念に背筋が寒くなる。

 とりあえず残りの部屋も調べ終えてから、エドワードは爆弾の山と向かい合った。そしてふと疑問に思う。何故ここまでやる必要があるのだろうと。

 そもそもガーディが国家錬金術師の資格を剥奪された直接の原因は、彼が自分の造った爆弾の性能を知りたいが為に起こした無数の爆破テロにある。
 昔は多少査定の基準が甘かったのかもしれないし、焔を扱うロイには劣るかもしれないが、それでもガーディは国家資格を与えられるほどの優れた錬金術師だったはずだ。

 歪んだのは国ではなく、軍でもなく、ガーディの精神の方だった。事実資格を剥奪され、犯罪者と呼ばれても仕方がない所業を彼は行ってきたのだ。何十人もの罪のない人が亡くなり、その数十倍の怪我人が彼によって生み出されたのだから。その中には一命を取り留めはしたものの、再起不能な傷を負った者が大勢いる。

 であるのに、誰かを恨むのは筋違いではないかとエドワードは思う。彼からすれば自業自得でしかない。もっともそんな理屈が通じないほど、ガーディは恐らく病んでいるのだろうが。
 もう、壊れてしまっているのかもしれないが。

「面倒だけど解体するしかねーな」

 呟いた時、部屋の外から走って来る足音が聞こえた。次いで開け放しておいた扉からロイが顔を出す。

「鋼の……って凄いな、これは」
「准将はそこで待ってろよ。すぐに片付けるから」

 パンと手を合わせて解体の為の練成陣を頭の中で組み立てる。両手を床につき青白い閃光が迸ると、一瞬にして部屋中の爆発物が完全に分解され無害なものに変わっていた。
 その鮮やかな手腕に思わずロイは拍手を贈る。専門外ではあるが天才の彼だからできる見事な練成だ。

「二階はどうだった?」

 軍服に付いた埃を払いながら立ち上がり、エドワードは上官の顔で尋ねる。

「何も問題はなかった。それよりも……これはどうした?」

 ロイの指先がエドワードの頬に触れる。彼の左頬に、引っ掻いたような一筋の赤い線が走っていた。自分でもそれに触れ、エドワードは首を傾げる。

「ホントだ。いつの間に引っ掻いたんだろ。最近忙しくて爪切る暇もなかったからなー」

 よく見れば左手の爪が随分伸びていた。いつもならばこうなる前にアルフォンスに切ってもらうのだが、テロ事件だの何だのですっかり忘れていたのである。

「戻ったらアルに頼むか」
「機械鎧では細かい作業がしにくいのかい?」
「いや、できないこともないんだろうけど怖くてさ。一回やったら深爪しすぎて血塗れになったから」

 なるほどと頷いてロイは自分がやろうと提案した。たかが爪切りでも、エドワードとの時間は独占したいのが恋心というヤツである。別段疑問に思わなかったのか、エドワードも割合すんなりそれを了承した。
 まぁ彼にしてみれば、相手が誰でも同じことなのだ。やってもらうのは所詮爪切りなのだから。

 一階でアルフォンスとアームストロングの二人と合流して報告を受ける。今のところ地下以外の場所に問題はなかったようだ。
 ひとまずホッと胸を撫で下ろし、受付の職員にエラール・ディグソが訪れたらすぐに連絡を寄越すよう命じてから、エドワードは再び三人を引き連れて中央司令部へと戻った。一応今回のことも報告書として上げておくべきだろう。

 いよいよ明日は夏至、まだ事件はチェックメイトまでは至っていない。ただ犯行予告は一切出ておらず、今のところ金色の女神も憂国連盟も不気味な沈黙を保ったままだ。
 憂国連盟だけならば片付きそうだが、狂信と復讐心に駆られた金色の女神はそうはいかないだろう。きっと明日、何かを仕掛けてくるはずだ。

 油断はできない。セントラルを守る為に、マクス老師との約束を守る為に、ここで負けるわけにはいかなかった。
 部屋の隅に置いてあるサーバーでコーヒーを淹れる。ふと爪が綺麗に切り揃えられた左手が視界に入り、僅かにエドワードは頬を緩ませた。




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