大爆笑が執務室に響き渡ったのは、アルフォンスが戻って来てすぐのことだった。腹痛ぇ、目尻に涙を浮かべながらも、エドワードは大笑いしている。
「中将、笑い事じゃないんですけど?」
「あ、ああごめん、けどっ……!」
笑うだろ、それは……! 報告のどこが一体ツボに入ったのか、ヒーヒー笑っている。これはもう暫く放っておくしかないな、諦めてアルフォンスはエドワードの顔を見つめた。流石に気疲れの色は隠せていなかったが、それでも昨日見た憂鬱そうな影は消えている。
何かあったのかな? 思ったが、エドワードが笑っているならいいかと少しだけ表情を緩めた。
一頻り笑って落ち着いたのだろう、やがてエドワードはしゃんと背筋を伸ばしてアルフォンスを見た。彼の方が椅子に座っているから、見上げる形にはなるのだが。
「今はハボック中尉が見張りをしています。もっともマクス老師のいる部屋は物理的に誰も入れませんが」
「物理的に?」
「ドアは消してきました。窓も、万が一侵入されると困るので開かないようにして防弾加工を施してきました」
「上出来だ」
ハクロとザクロが関わっているのなら、口封じにマクスが襲撃される可能性が高い。それを見越しての措置に、流石はアルフォンスだと拍手喝采を浴びせたい気分だった。
恐らく敵は忘れていたのだろう。アルフォンス・エルリックもまた鎧の名を冠する国家錬金術師で、名高いエルリック兄弟の片割れであることを。
話を聞くとどうやら襲撃者は結構いたらしい。たった数時間の間によくもまぁ次から次へと、思うが、それだけ彼らも追い詰められていたということなのだろう。
「病院を手配しますか?」
尋ねられて暫く考えたが、エドワードは首を横に振った。まだ早い。
今の段階でマクスを病院に移しても、喩えそこが軍病院であれ公共の病院であれ事態は同じだろう。逆に目が届かなくなる可能性の方が高い。
「あぁ、そうだ。アルフォンス、これを持って大総統府まで行ってくれないか? ちょっと時間は早いけど、確実に大総統に渡してくれ。その上で受け取った命令書をヒューズ中佐に届けてくれ」
渡された白い封筒を、アルフォンスは受け取った。内容など予想がついている。
そこでふと彼は思い出した。言わなくてはいけないことがあったのだが、ついバタバタしていて忘れていたのだ。
「あのね、兄さん……」
言いかけた時、内線電話が鳴った。それを取ったエドワードが徐々に青褪めていくのを、あちゃーと思いながらアルフォンスは見ていた。
受話器を戻したエドワードは言葉もない。
「すっかり言うの忘れてたんだけどね、ウィンリィがメンテナンスに来るよ」
「って、もっと早く言えー! こ、心の準備が要るだろ……!」
「ごめん。でも、一年半もメンテナンスしてないんだから、流石にそろそろ限界だったでしょ? 足の左右のバランスも悪いし」
「アル!」
怒鳴っても仕方がない。逃げたって結局は同じだと、溜息をついてエドワードは机に突っ伏した。生涯機械鎧を背負って生きると決めたのだ、メンテナンスは欠かせない。……だが、やはり前もって教えておいて欲しかったと思うのは、ウィンリィに対する僅かながらの恐怖心のせいだった。
中央司令部に軍服以外の者が混じるのは珍しい。それは大抵将軍の娘だったりするのだが、今トランクを片手にホークアイの横を歩いているウィンリィはそれを抜いても衆目の的である。
「エド、どうしてます? ちゃんと仕事してますか?」
「勿論、素晴らしく有能な上官よ。今もテロ騒動でバタバタしてるのだけど、エドワード君が上にいてくれるから私達も安心出来るの」
手放しのホークアイの褒め言葉を聞いて、ホッとしたようにウィンリィは笑った。やんちゃ坊主というイメージしかなかったエドワードだが、ホークアイは決してお世辞を口にする人間ではないから彼女の言う通りなのだろう。
「それで、今回はメンテナンス? 遠いところをご苦労様」
「いいんです。それに、あたしが丹精込めて作った最高級の機械鎧を他の人に弄られるのは我慢出来ませんから」
それは機械鎧技師としてのポリシー。エドワード達の旅を支える、それは少女の頃の目標だったけれど。彼らの悲願が達せられた今となっては、一人の職人としての生き方に他ならない。
ガチャ、扉を開けて司令室に入ると、ウィンリィと面識のある中央組が真っ先に二人を取り囲んだ。
「おお、ウィンリィ殿ではないか!」
「アームストロング中佐、お久し振りです。ロス中尉も、ブロッシュ曹長も」
「元気そうね、ウィンリィちゃん。中将は執務室にいらっしゃるわよ」
「……逃げ出してないといいんですけど」
「それは大丈夫。多分、アルフォンス君が引き止めてくれているわ」
安心させるようにホークアイも微笑み、行ってらっしゃいとウィンリィの背を押した。彼女がエドワードの執務室に消えた後で、ボーッとその姿を見送っていたハボックが呟くように尋ねる。
「誰っスか、あの美人」
「あら、あなた達は会ったことなかったかしら? ウィンリィ・ロックベル嬢よ。エドワード君達の幼馴染みで、彼の専属機械鎧技師」
「えっ? あんな美人さんがそんな厳つい仕事を?」
マジっスか、とてもじゃないけど信じられないっス。
言うハボックに、他の東部組の男衆は頷いた。ロイにすれば、強力な恋敵の出現である。内心穏やかでなどいられない。
執務室の中からアルフォンスが出て来れば尚更に。つまり今エドワードはあの美人と二人きりだということで。
「エルリック中佐、私も立ち会っても構わないだろうか?」
「あー、止めた方がいいかと。流石に下着姿を准将に見られるのは兄さんも恥ずかしいと思いますし」
「下着姿? ……で、あの女性の前に?」
その言葉でロイが何を危惧しているのか悟ってしまったアルフォンスは思わず笑ってしまった。
「大丈夫ですよ。あの二人の間に恋愛感情なんて欠片も存在しません。ただ、兄さんは左足も機械鎧でしょう? メンテナンスの時はどうしてもズボンを脱ぐ羽目になるんですよ」
今も執務室からは奇妙な叫び声が聞こえて来る。中で一体何が起こっているのか想像もつかないだけに、正直ロイ達は不安を隠せない。
「まぁスパナで何発かは殴られるでしょうけど、あの二人にとってはそれもスキンシップということで」
どんなスキンシップだ。
「多分兄さんは疲れてそのまま仮眠に入ると思います。ほら、機械鎧って直接神経と結合させるじゃないですか。だからメンテナンスの後は凄く疲れるらしいんですよ。なので暫くそっとしておいて下さい」
じゃ、僕はちょっと出て来ますから。
言い置いてアルフォンスが出て行くと、ロイは思わず執務室の扉を見つめてしまった。入りたい、けれど入ったら後悔するかもしれない、そんな葛藤が渦巻いている。
「准将、落ち着いて下さい。何も命に関わることではないわけですし」
「しかしだな、鋼のがそんな格好で女性の前に……」
「ですから、それも今更です。エドワード君の機械鎧をずっと作り続けてきたのは彼女なんです。患者が医者の前で服を脱ぐようなものでしょう」
すっぱりと切って捨て、ホークアイは一同を急かした。
「それよりも、昨日から今朝にかけての報告書をさっさと上げて下さい。でないといつまで経っても帰れませんよ」
それは嫌だ、思った面々は一斉にデスクに向かった。
容赦なくスパナで殴られた後頭部がズキズキと痛む。だが怒られるのももっともなことなのでエドワードは反論の言葉を持たなかった。
「まったく、幾つになったらアンタはあたしの傑作を大事にする気になるわけ!?」
「だから悪かったって。休みが取れなかったんだ、仕方ないだろ?」
「だからって一年半も! あぁホラ、やっぱりバランスが狂ってるじゃない!」
散々チビだの豆だの言われたエドワードも成長期である。一年半も放置すれば、左右の足の長さに狂いが出るのも当然だ。
「それにしても……」
「んあ? 何だよ?」
「ちょっと意外。アンタ、美人になったわね」
「はぁ!? 何だよ、それ」
「言葉通りよ。カッコ良くなったとかいうなら判るんだけど、幼馴染みの男が美人になってるのを見ると……」
だから美人って連呼するな。言いたかったが、反論すると再びスパナが飛んで来るのが判っているのでそれも出来ず、エドワードは黙ってウィンリィを見た。
「何かこう、嬉しくなるじゃない?」
「いや、だからどうしてそんな結論に……」
既に右手も左足も取られ、バランスを保たなければソファの上に転がること間違いなしのエドワードである。タンクトップにパンツ一丁という情けない姿ではあるが、こういう状況では二人とも気にしない。
「だって自慢出来るもの。これがあたしの幼馴染みよって。あー、いっそあたしもセントラルに引っ越そうかな。そうすればアンタのメンテナンスももっとしっかりやってあげられるし」
「ってお前、修行中だろ?」
「もう独立してもいいって前から言われてるの。ばっちゃんにもそうすればって言われてるし」
うん、決めた! 言うウィンリィの瞳には確固たる決意が灯っていた。これは止めても無駄だな、思いエドワードは溜息をつく。
確かにウィンリィが近くにいることのメリットは大きい。
「とりあえず今日のところは仮の腕と足で我慢して。宿に帰ってきっちり調整してきてあげるから」
「おー、判った」
今日一日くらいなら何とかなるだろう。中将職にあるエドワードが前線に出ることを、基本的に頼もしい部下達は許さない。椅子に座り指示を出すだけならば多少手足が不自由でも出来るはずだ。
「ぐぁ、疲れた……」
呟きながらズボンを穿き、白いカッターシャツを身に纏う。いいや、このまま仮眠に入ろう。思って軍服の上着はそのままソファに放置する。
「じゃあまた明日ね」
「おー。俺は寝るから、他のヤツらにもそう言っておいてくれ」
「判った。おやすみ」
ヨロヨロと慣れない足で執務室の奥の専用仮眠室のドアを開ける。バフッとベッドに倒れ込んだ瞬間、エドワードの意識は飛んだ。
至福を噛み締めた笑みを、綺麗な顔に浮かべながら。
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