暁の秘め事
「さて、何故呼ばれたか判るか?」

 背筋が凍りそうになるほどの冷笑を浮かべて、エドワードは話を切り出した。トン、白手袋に包まれた指先が机を叩く。

「いえ、何のことか私には……」

 気圧されるリーバーの額から流れる汗がそれは嘘だと明白に語っていた。コイツに腹芸は向いていないな、即座にエドワードは判断する。今までは恐らく大佐の地位にあったから、誰にも指摘されたことなどなかったのだろう。その点、上層部に妬まれながらも頭角を現してきたロイ辺りとは格が違う。

「では尋ねるが、憂国連盟についての調査報告書に不審な点があることに気付いていたか?」
「不審な点、ですか」
「この書類の作成者は大佐本人で間違いないか?」
「はい。私が書きましたが、それがどうか……?」

 語るに落ちるとはこのことだ、思い唇に笑みを刻む。

「ウルソ・ガーディが幹部の一人であることを確認したのも?」
「はい。……中将、仰る意味が判りませんが」

 自分よりも遥かに年少の上官にまるで糾弾でもされているような雰囲気が気に食わなかったのだろう、リーバーの瞳に挑戦的な光が宿る。だがエドワードはそれを一顧だにしなかった。
 こんな小物相手に使う時間すら今は惜しい。

「大佐ならば知らないはずはないな? ウルソ・ガーディ、別名を冬雷の錬金術師。情報部も軍法会議所も三年経った今でさえ、その行方を掴むことが出来ていない元国家錬金術師だ。なのに何故三年前の日付でその男の名が報告書に記載されているのか、説明をどうぞ?」

 口調はひどく柔らかい。だが表情が、眼差しの苛烈さがそれを激しく裏切っていた。麗人然と椅子に座すその姿とは裏腹に、怒っているのだ。それもとてつもなく。
 強烈なプレッシャーを感じて、思わずリーバーは後ずさった。唇がわなわなと震える。二本の足ですら、体を支えるのが困難なくらいガクガクと震えていた。

「わ、私の一存でやったわけではない!」
「……ほう? では誰が?」

 追及の手は鋭く、それをかわす弁舌を残念ながらリーバーは持ち合わせていない。へなへなとその場に崩れ落ちる姿を、エドワードは冷たい瞳で見ていた。

「ザクロ准将が! あの男がハクロ少将と組んでやったことだ! 私は命令に逆らえなかったんだ!」
「ザクロ准将がハクロ少将と? それで? どんな命令を下された? 言ってみろ」

 どちらも現在はエドワードの下位に立つ男達である。ザクロはかつてロイの暗殺命令をエドワードに下した挙げ句、彼に逆に汚職の事実を突きつけられて失脚した男だし、元々上昇志向の強いハクロはロイを目の敵にしていた。あっという間に自分の上に立ったエドワードを憎んでいたとしても無理はない。

「現に今回のテロは大総統暗殺未遂でもあるんだ。言え」
「……中将とマスタング准将を失脚させる為にだと……。ガーディが憂国連盟にいるという情報はハクロ少将からもらった! 私は……私は組織の始末人だっただけだ!」

 私は無実だ、利用されただけだ、叫ぶリーバー。だがその言葉は逆にエドワードの不審を募らせただけだった。

「始末人? では今まで憂国連盟が行ってきたことは全て、ハクロ少将達の自作自演にすぎないと?」
「そうだ! 戦場に赴けば命の保証はない! だがテロなら……!」

 その内容を全て把握しているテロならば、自分達に傷が付くことはまずない。きっと彼らにとって賛同するテロリスト達の命など、使い捨てに出来る駒のようなものだったのだろう。金をちらつかせなくとも軍に不満を持つ者は多くいる。

「……軍人の誇りをどこに捨ててきた、リーバー大佐」
「上からの命令だった……! 私は逆らえる立場になかった……!!」
「立場がどうした!」

 ダンッ、拳を机に叩きつけエドワードは怒鳴った。

「何故直訴しない! 手段なら幾らでもあったはずだ!」

 現に自分はそうしてきた。上官だろうが何だろうが、不正は不正だと誇りの命ずるままに行動してきた。その反骨精神が今のエドワードを形作るもの。

「私は……私は……」

 それっきりぶつぶつと同じ言葉を呟き始めたリーバーにここまでだなと判断し、エドワードはアームストロングを呼んだ。牢に入れておけと告げて二人を下がらせる。
 冷静に話をするつもりだったのに、最後にはつい激昂してしまった。まだまだ甘いなぁ、思いながら椅子に背を預ける。

 ようやく大局が見えてきた、そんな感覚だった。マクスの話ではハクロが憂国連盟と繋がっているということだったが、今のリーバーの話ではそもそも憂国連盟を作ったのがハクロなのではないかと思われる。それともう一人の、予想外の人物。まぁ恨まれているだろうとは思っていたが、今の今まですっかり忘れていた名だっただけに、正直驚きの方が強い。

「この際厄介な連中は一掃するか……。それにしても……」

 結局リーバーは何も知らされていなかったということだ。まぁエドワードから見ても使えない男である。ハクロ達が同じように判断したとしても無理はないのだが。どこまでも哀れな男だ。















 どれくらい経ったろう、ドアを叩く音が聞こえてコーヒーを持ったホークアイが顔を出した。

「中将、少し休憩して下さい。ずっと働き通しですから」
「ああ、ありがと大尉。そうだな……、相談したいことがあるんだ。今いい?」

 尋ねられてホークアイに否やのあろうはずがなかった。にっこりと、徹夜明けを思わせない笑顔で応じる。それにホッとしたような笑みを見せ、エドワードは来客用のソファに移動した。その正面に座し、彼の前にコーヒーと手作りのサンドウィッチを置く。

「相談したいことって? 私でいいのかしら?」
「大尉じゃないと駄目なんだ。ホラ、大尉には俺のグチャグチャな顔とか見られてるから」

 三年前のあの夜のことか、思い当たり僅かにホークアイは居住まいを正した。

「准将さ、ちょっとずつ記憶が戻りつつあるんだ」
「え?」
「あ、いや、つってもホントに一場面だけとかそんな感じなんだけどさ。でも正直……怖い」
「怖い? どうして? ずっとそれを望んできたんじゃなかったの?」

 綺麗なヘイゼルの瞳に見つめられてエドワードは俯いた。弱音を吐くなんてらしくない。判ってはいるけれど、アルフォンスには相談出来ない。他の誰にも。

「今の准将は俺が犯した禁忌を知らない。知らないのに本気になったとか言われたって俺……! 俺は……怖くて頷くことなんて出来ない……!」
「エドワード君……」

 いつの間にロイがそんなことを言ったのか、ホークアイにとってそれは問題ではなかった。弟のように可愛がっているエドワードがここまで沈んでいること、それこそが大問題なのである。

 ロイとエドワード、二人の出会いからホークアイはずっと見てきた。全てをとは言わないが、それでも傍で二人の関係が緩やかに変化するのをずっと見てきた。それは三年前に一変したけれど。ずっと協力者であったことに変わりはない。

「……それで、エドワード君はどうしたいの?」
「判らない。思い出して欲しいとずっと願ってきたのに……それは嘘じゃないのに……、今の俺は准将が真実を知って離れていくのが怖いんだ……」

 いっそこのままでいたい、そう願うほどに。このまま、全ての過去に目を閉ざして、新しい関係だけを築いて行けたら。
 記憶を取り戻すことを望むロイを裏切っても。

「……ねぇ、エドワード君。あなたはそうして自分の過去を卑下するけれど……、私にはそうは思えないわ。たった二人残された子供が純粋に母親の存在を望んだことの何が悪いの?」
「それは……錬金術師にとっては禁忌だから……」
「そうね。でもそれは国家錬金術師にとって、ではないのかしら?」
「!!」

 ホークアイの言葉にエドワードは目を見開いた。思わず顔を上げ、呆然と彼女を見つめてしまう。本当にただの少年の顔をしているエドワードに小さく笑い、ホークアイは静かな声で続けた。

「准将があの時怒ったのは、あの人が国家錬金術師だったからじゃないかしら。それにねエドワード君、あなたは知っているかしら? リゼンブールからの帰り道、准将はあなたのことを焔のついた眼だと仰っていたのよ」
「聞いたことない」
「でしょう? 多分あの瞬間から、あなたは准将の中で特別になったんだと思うの。それに、人体錬成を禁忌だと本気で思っていたのなら、あなたの旅に協力なんてするはずないとは思わない?」

 それは……確かに。死者を蘇らせるわけではないけれど、アルフォンスの身体を取り戻すことだって十分に禁忌に値する。だからこそ報告書には賢者の石の名前すら出さなかったのだ。軍に知られるとマズいからという理由で。
 目を、瞑ってくれていた。バレたらその身が破滅することを承知の上で。

 今まで気付いていなかったことを改めて目の前に突き付けられて、エドワードは泣きそうになるのを懸命に堪えていた。守られていた。愛されていた。エドワードが及びもつかないところで深く。
 真っ直ぐに進むことしか知らなかったエドワードは、そんなことにも気付けなかったけれど。

「私達が付いて行きたいと思ったのは、そういう人なのよ」
「うん……」

 気が付けば、恐怖は跡形もなく消えていた。ホークアイの柔らかい笑みに、暖かい眼差しに、穏やかな言葉に全てが癒されていく。救い上げられるとはこういうことなのかとエドワードは思った。
 普段どれだけ無能呼ばわりしていても、銃を抜いてはいても、本当は。そういう男だからこそ将来を預けたのだと言われて痛いほど納得してしまった。

「それにね、これは内緒のことだけれど」

 前置きをしホークアイは悪戯な笑みを浮かべる。

「あなたと知り合った後の准将の方がずっと、人間として魅力的なのよ」

 言われてエドワードは思わず赤くなった。照れ隠しにコーヒーを手にする。それはすっかり冷めていたけれど、不思議な温もりを運んで来た。エドワードの心と体の両方に。

「……ありがと、大尉。もう大丈夫、立ち直ったから。ごめんな、泣き言なんか聞かせて」
「嬉しいわ。私だけの特権ですもの」
「うん。……あ、忘れてた。アルフォンス、呼んでもらえる? 多分まだ医務室にいると思うから、他のヤツと交替ってことで体力余ってそうなヤツに迎えに行かせて」
「了解しました。中将? 少し時間に余裕があるなら仮眠を取って下さいね? 今中将に倒れられると困りますから」

 判った、エドワードが頷いたのをきっちり確認してからホークアイは執務室を出て行った。
 ちらり、時計を見る。大総統府に電話するにはまだ些か早い時刻だ。夜勤だというアルサーはいるだろうが、事が事だけに直接ブラッドレイと話した方が早い。

 二日後には夏至、それまでにどれだけの情報を掴むことが出来るか。
 ここから先は時間との勝負になりそうだった。



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