魂の温度 中編
「とりあえず私達は席を外そうか」

 エドワードが受話器を戻してすぐにロイはそんな提案をした。相手はイシュヴァールの老師である。であるならイシュヴァール戦に出ていた自分とアームストロングはいない方がいいだろうと考えたのだが、それに対するエドワードの答えは否だった。

「いればいいだろう、ここに。軍は変わるんだと身をもって示すつもりがあるなら」
「しかし……」
「大丈夫だ。イシュヴァールの民にも変化の兆しがある。その代表がマクス老師だ。戦いを過去のこととして乗り越えようとしている人だ」

 失ったものはもう戻って来ないのだと現実を見据えて、未来を考え始めた者達がどちらにもいる。そう、軍にもイシュヴァール人にも。
 教会跡で再会してから何度となくマクスと会見を重ねてきたエドワードは確信している。真実彼は自分達の側に立っている人間なのだと。
 今までは誰もその場に立ち会わせなかったが、それもそろそろ潮時だろう。マクスがわざわざ司令部を訪ねて来たのもいい契機だ。

 コンコン、ドアがノックされた。入れ、短くエドワードは応じる。ここで入りたまえとかつてのロイのように言わないのは、その言葉が似合うだけの年齢に未だ達していないからだ。
 カチャ、音を立ててドアが開かれる。下士官に案内されて来たマクスの姿を見た途端、エドワードは慌てて彼に駆け寄った。

「老師! その姿は……!」

 グラリと倒れそうになった彼を支えようと手を伸ばした時、横からアームストロングの腕が伸びてマクスを抱え上げた。

「中将、ひとまず医務室へ」
「頼めるか?」
「お安い御用です」

 場を医務室に移しながら、エドワードは自分の迂闊さを心底呪っていた。危ないとは思っていたのだ。仮にもテロを起こそうというヤツらを説得しようというのだ、その身に危険が迫ることくらい容易に考えられることだったのに。
 しかも今や、金色の女神は憂国連盟と手を組んだのだ。老師という立場故に金色の女神を名乗るヤツらがマクスに手を出さなかったとしても、憂国連盟は違う。
 内部事情を軍に知らせる危険な人物としか映らなかったろう。

 一通りの処置が終わり命に別状がないことが判ると、ホッと肩を落としてからエドワードは人払いを命じた。

「……そうして軍服を纏っている姿を見ると……もうエド坊などと呼べぬな……」
「ごめん、老師……!」
「? 何を謝ることがある?」

 真っ先に謝罪の言葉を口にしたエドワードに、マクスは不思議そうな顔を向けた。

「俺はアンタがそんな目に遭うかもと気付いてて、結局何の対策も講じなかった……!」
「エド坊が謝ることではあるまい? これは儂の覚悟の形だ」
「それでも……!」

 尚も言い募るエドワードに優しい笑みを向け、それからマクスはベッドの上に半身を起こした。本当は絶対安静だと宣告されていたのだが、今はそんなことを気にしている場合などではない。

「若造どもが他の組織と手を組んだ。それは気付いておるじゃろう?」
「憂国連盟、だな?」

 顔を上げ、エドワードは瞬時に中将の仮面を付けた。死にそうになりながらも届けてくれる情報だ、一言一句無駄にしてはならない。

「それだけではない。軍の将官が裏にいる」
「! 何だと!?」
「憂国連盟の資金源はそこだ。ハクロ少将、知っているか?」

 それを聞いた途端エドワードは厳しい表情でアルフォンスを振り返った。

「ヒューズ中佐に連絡を。大至急こちらに来てくれるように」
「承知しました」

 頷いてアルフォンスは医務室を出て行った。再びマクスに向き直りエドワードは彼に尋ねる。

「アンタを捕らえた連中の中に錬金術師がいなかったか?」
「錬金術師……あぁ、あの薄気味悪い男のことか。始終奇妙な箱を抱えていた……」
「ヤツは何か言ってなかったか? 何でもいい、どんな小さなことでもいい。覚えてないか?」

 暫くマクスは考え込んだ。恐らくは思い出そうとしているのだろう。それがどれほど惨いことか判っていてエドワード達はただ彼の言葉を待った。どうしても思い出してもらわねばならない。今の状況を打破する為に。

「……そう言えば……フラメルの上に火蜥蜴とずっと繰り返し……」
「フラメルの上に火蜥蜴!?」

 火蜥蜴、つまりサラマンダーはロイ・マスタングの発火布に描かれた紋章だ。

「追い落とされた、奪われたとまるで呪いの言葉のように……」

 思わずエドワードはロイを見つめてしまった。彼もまたエドワードを見つめている。痛いほどの沈黙が場に落ちた。
 二人には冬雷の錬金術師ウルソ・ガーディと直接顔を合わせた覚えはない。これが以前のエドワードであれば何故と首を傾げたことだろう。だが今ならば判る。
 上に立つ者は時に理不尽な妬みを受けることがあることを。

「……そう言えば幾つかフラメルに関わりのない設置場所があったな。仮にあれをサラマンダーと想定した場合、本命は……!」
「鋼の!」

 二人、ほぼ同時に答えを弾き出した。金と漆黒の強い視線が交わる。

「准将、任せた」
「承知している。中佐、君も来てくれたまえ」
「はっ」

 慌ただしく二人が出て行くと、医務室にはエドワードとマクスのみが残された。

「バタバタして悪いな。けどこっちも一刻を争ってるから」
「……彼が……イシュバールの英雄ロイ・マスタングかね?」
「あぁ。もう……八年来の付き合いだ」
「そうか……」

 エドワードの静かな笑みに何か感じるところでもあったのだろう、マクスも柔らかく笑った。言葉すら必要としない、交わす視線だけで通じ合うような何かがエドワードとロイの間にはあるのだろう。強い信頼と、それに付随する何かが。

「時は……確実に流れていくのだな……」

 呟いてマクスは瞳を閉じた。記憶に蘇る遠いあの日々は今も煉獄の紅に色取られているというのに、その炎を灯したはずの男は今やとても美しい焔を瞳に宿していたのだ。
 誰の上にも平等に、時は流れていく。いつか……戦争を知らない子供達が平和に暮らせる日が来るのだろうか。
 理不尽なことで命を奪われることがない、殺せと命令されることのない時代がやって来るのだろうか。

 それはまだ、遠い夢物語にも思えた。
 けれど少なくともここには、それを現実のものにしようと努力する者達がいる。

 二人分の足音が来るのが聞こえた。聞き慣れたその片方をアルフォンスのものに違いない。

「中将、ヒューズ中佐をお連れしました」
「ああ、入れ」
「失礼します」

 キィ、ドアが開かれ二人が中に入って来る。キョロとアルフォンスは室内を見回し、エドワードに尋ねた。

「准将と少佐はどちらへ?」
「本命を片付けにな。それよりヒューズ中佐、いきなりで悪いんだけどハクロ少将と憂国連盟の関係について大至急調べてくれ。……それとリーバー大佐のこともな」
「リーバー大佐も、か?」

 思わずヒューズは眼鏡の奥の瞳を眇めた。それは今、部外者であるマクスがいるこの場で話題にしても良いことなのかと。
 その意図を正確に汲み取ったエドワードはアルフォンスに向かい言った。

「エルリック中佐、暫くここの見張りを頼む。誰であろうと中には入れるな。必要であれば実力行使も許可する」
「はっ」

 敬礼して彼に答えるアルフォンス。実力行使、それは本来ならば司令部内での使用を禁じられている戦闘用の錬金術の使用を許可するものだ。

「じゃあ中佐、場所を変えよう。マクス老師、暫く不自由させると思うけど我慢して養生しててくれ」

 言い置いてエドワードはヒューズを伴い医務室を後にした。深夜の司令部に二人の足音だけが響き渡る。執務室に戻り革張りの椅子に腰を下ろしてから、やっとエドワードは口を開いた。

「冬雷の錬金術師ウルソ・ガーディが資格を剥奪されたのは、俺が機関長に就任する直前だった。当時は随分話題になったよな。中佐、アンタも覚えてるだろ?」
「あぁ。情報部もウチも総力を挙げてヤツの行方を追った。結局未だに見つけられないままだがな。……しかしエド、それとリーバー大佐と何の関係があるってんだ?」

 怪訝そうな顔をするヒューズにエドワードは憂国連盟の資料を手渡した。構成員リストの項目には確かにウルソ・ガーディの名がある。……が。

「おいおい、これは一体どういう冗談だ?」
「だからだよ。判るだろ? 中佐なら」

 ウルソ・ガーディ。憂国連盟幹部の一人と確認。
 その一文は良いのだ。だが問題なのはその後ろに書かれた日付だった。

「三年前……ってどういうことだ? 資格剥奪直後にヤツの行方を掴んでたと、つまりはそういうことか?」
「だからそこが可笑しいんだよ、中佐。情報部でも知り得ないことを、どうやってあのリーバー大佐は掴んだんだろうな?」

 考えられることは二つ。彼自身が情報部などに頼らなくても済むような情報網を持っていること。もう一つは彼が直接その情報を知り得る立場にいるということ。
 恐らく前者の可能性は限りなくゼロに近い。
 能ある鷹は爪を隠すと言うが、知り得た情報を馬鹿正直に報告書に記載する辺り彼は知恵者であるとは思えない。

「今回のことがなければ、まだ誰も知らなかったろうな。こんな重大事項、本来なら報告が上がってなきゃ可笑しい。捕まれば銃殺は間違いナシの一級犯罪者なんだからな」
「確かに……」
「まぁヤツの査問は俺が直々にやるとして、だ。とりあえず中佐はヤツとハクロ少将、そして憂国連盟に繋がる証拠を挙げてもらいたい」

 必要ならオッサンに一筆書かせるから。
 事もなげにエドワードは言った。オッサン、それが誰のことを指すかなど一々訊かなくても判っている。大総統をそう呼べる軍人など恐らく彼以外にはいないだろう。

「判った、やってみよう。命令書の件は頼んだぞ」
「任せておけって。明日には届けるよ」
「ああ。それよりロイ達はどこ行ったんだ?」
「ん? 本命だよ」

 ロイがしくじるなどと微塵も思ってないからこそエドワードの表情にも余裕がある。この二人の間にある信頼感は疑うべくもない。

「じゃあとりあえずのところは一段落だな。次は三日後、といったところか」
「ああ。それまでに何とか憂国連盟のことだけでも片を付けたいんだけどな」
「ま、それはお前さんの手腕次第だな。頑張れよ」
「中佐もな。厄介事ばかり頼んで悪いけど」
「はは、頼られるうちが華ってな」

 案外いいモンだぜ、お前さんに頼み事をされるのはな。
 それは口にせず、ヒューズはエドワードの頭をポンと叩いてから執務室を出て行った。

 夜明けはもう近い。
 徐々に明け始める東の空を見上げ、エドワードは一つ溜息をついた。
 今日もまた忙しくなるな、そんなことを思いながら。



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