強いノックの音にハッと我に返ったエドワードは、咄嗟にロイを突き飛ばしてから表情を改め入室を許可した。
「中将、 たった今犯行予告が届きました!」
「犯行予告? どこからだ?」
「憂国連盟と金色の女神の二つのセクトから同時にです」
答えるアルフォンスの声も僅かに上擦っている。
「内容は?」
「明日の夜明けと同時にセントラル各地で火花が上がるだろう、それは我々の戦いの狼煙だ、と。二通とも全く同じ内容です」
それを聞いてエドワードは考え込んだ。憂国連盟が犯行予告を出して来るのは構わない。彼らはある意味古株の組織だ。過去に何度となく検挙、組織崩壊を繰り返してきたが、一向に根絶やしにすることが出来ないテロ組織なのである。
それはまだいい。
だが、金色の女神とは?
聞いたこともない組織名にエドワードの眉が寄る。
とてつもなく嫌な予感がするのだ。
「アルフォンス、全員を集めろ。飲んだくれてるヤツらも全員引っ張って来い。第一、第二部隊にも召集をかけてくれ。時間がない、大至急だ」
「はい!」
敬礼を残してアルフォンスが出て行くと、エドワードは身軽に立ち上がって自分の机の脇に立った。その凛とした背中にロイは声をかける。
「鋼の、もしかして君が今考えているのは、イシュヴァールの残党と古参のテロ組織が手を組んだ可能性についてかね?」
「アンタもやっぱりそう思うか?」
「金色の女神、真っ先に連想されるのは太陽だろう。イシュヴァールの民が崇める創造神イシュヴァラは太陽神でもあるからな」
これほど符合することもない。言って彼も立ち上がる。微睡みを破る鐘の音は鳴り響いた。上がったのは戦いの狼煙だ。
「三日後は夏至だ。ヤツらの本命はそこだと俺は考える。イシュヴァールの大祭の日だからな」
復讐戦を挑むのであれば、何よりも神聖な日に。
「爆弾ならアンタの領分だろ? 期待してるぜ、焔の錬金術師」
振り返り真っ直ぐにエドワードはロイを見つめた。逸らすことを絶対に許さない黄金の焔を湛えた瞳で。それに感嘆の念を抱きながら、ロイは敬礼してみせた。誰よりも心を鷲掴みにして離さない、美しき上官の為に。
「だから今この時期になって管轄が違うなんて言っても始まらないだろう!」
ダンッ、会議室のテーブルに左手を叩きつけ、第二遊撃隊隊長のポステ大佐は怒鳴った。
第一から第三までの遊撃隊の佐官以上の者が集まった会議室で、その声は嫌に響き渡る。
「しかしだな、憂国連盟に関する調査を行っているのは我々第一部隊だし、第二部隊の担当する組織が今回の件に絡んでいるのが確認されない以上、これはこちらだけで担当するのが筋というものではないかな?」
初老の域に達している第一遊撃隊隊長のリーバー大佐は、四十代半ばにして同じ立場に立っているポステが気に入らないらしい。何かと難癖をつけては会議を長引かせる名人として有名だ。
「セントラル市民が危険に晒されているんだぞ! 第一部隊だけでは手が足りないなど目に見えて判っていることではないか!」
「なぁに、いつもヤツらが使う手だ。ヤツらについては我々の方が詳しい。どうせ今回も多くて三箇所程度だろう」
埒の明かない会話とリーバー大佐の現状認識能力の低さに、思わずエドワードは鼻で笑ってしまった。途端に視線の集中砲火を浴びるが、そんなものを今更臆する彼ではない。
カタン、優雅な所作で席を立ったエドワードは、集まった一同を見渡してから口を開いた。
「届けられた犯行声明は二つ、しかもそのうちの一つである金色の女神は、我々第三部隊が以前から警戒していたイシュヴァールの民によるテロ組織のものである可能性が非常に高い。さて、ここで問題だ。リーバー大佐、古参の組織と新参の組織が手を結んだ場合、事態はどうなる?」
涼やかな声で尋ねられて、リーバーは言葉を失った。
「ポステ大佐はどう考える?」
「今までとは違い、何が起こるか判らないと言えます!」
「その通り。結論は判るな?」
反論はなかった。全員一斉に席を立ち、敬礼でエドワードに答える。
「報告は最優先で俺に回せ。その代わり全責任は中将の名にかけて俺が負う。解散!」
始まってから僅かに十五分、異例の早さで会議は終了した。散って行く軍人達を見送っていると、ポステ大佐がエドワードに歩み寄って来た。
「中将、今この時に貴方が第三遊撃隊を率いていて下さったことに感謝します」
「ポステ大佐?」
「今までは何一つ話が纏まらないまま会議が決裂し、その分テロリスト達の行動の早さに及びませんでしたが、これからは違います。不肖の身ではありますが、閣下の為に精一杯尽力することを誓います!」
自分の言いたいことだけ言うと、踵を返して彼もまた会議室から出て行った。思わず唖然としてその後ろ姿を見つめてしまう。すると隣から忍び笑いが聞こえて来た。
「格好良かったですよ、中将閣下。南部戦線を思い出しちゃいました」
「……アルフォンス、揶揄うなよ」
「だって本当のことでしょう? 中将の部隊にいた人、大半が第三遊撃隊に異動願い出したってご存知ですか?」
問われてエドワードは首を横に振った。そんなこと、知るはずもない。
「これだから中将は……。中将に庇ってもらった人なんて、中将をお守りする為にこの命はあるんです、なんて張り切ってましたよ」
「……俺は誰かに命を賭けて守ってもらうほど凄い人間じゃないよ」
「中将はそう仰ると思ってました。でもそんなこと、恩を受けた人にとっては多分関係ないんですよ。それに……」
そこでアルフォンスは僅かに表情を変えた。副官から弟のそれへと。
「兄さんは凄い人だよ。それはここにいる誰もが認めてる。もっと自分に自信を持って。兄さんは僕の誇りなんだから」
「アルフォンス……」
「その通りだぞ、中将! 吾輩も貴公を尊敬しておる。さぁ、何なりと命令を」
それまで黙って聞いていたアームストロングがいつものように感極まって見事な筋肉美を披露している横で、ロイもまた大きく頷いた。
「私も君を尊敬しているよ。君の下についてからそう長い時間は経っていないが、君は数少ない信頼に足る上官だ」
三人に持ち上げられ、エドワードは白皙の頬に朱色を上らせた。先ほどまでの、中将としての威厳溢れる姿とはまるで違う、まだ十八、九の少年がそこにいた。
微笑ましいと思ったのはアームストロングで。可愛いなぁと思ったのがアルフォンス。そして抱き締めたいと思い即座に実行に移すのがロイだった。
ぎゅうっと抱き締められて、突然のことに思わず抵抗を忘れたエドワードだったが、人前であることを思い出してジタバタと暴れる。
「いきなり俺に触るなっ!」
パンッ、平手打ちがロイの端整な顔にヒットした。しまったと咄嗟に思ってエドワードは手を引き、一瞬だけ申し訳なさそうな表情を浮かべるが、すぐに俺は悪くないと思い直しロイを睨む。
それに苦笑いを浮かべ、ロイはすぐにエドワードを解放した。
「とにかく! 今はそんなことしてる場合じゃないだろ。俺達も戻るぞ」
エドワードがそう言った時、会議室にはもう四人以外の姿はなかった。
第一部隊から届いた憂国連盟の資料を手にしてエドワードが自分の執務室に戻ってしまった後、アルフォンスはロイを司令部の屋上へと誘った。思えばこうして二人だけで話すのは初めてのことである。付き合い自体は長いが、エドワードが軍属だった頃から二人きりになったことなどなかった。
「エルリック中佐、私に話とは?」
「……失礼を承知でお訊きします。准将は兄をどう思ってるんですか? 上官としての兄でなく、一人の人間として」
問われたことにロイは漆黒の瞳を眇めた。それくらいアルフォンスの表情は剣呑なものだった。喧嘩でも売られているのかと思うほどに。
「私はそれにどう答えるべきなのかな? 君はどういう返答を期待しているのかね?」
「真実をありのままにお聞きしたいです。僕はもう、兄さんの悲しい笑顔を見たくはないので」
そこまで言って、アルフォンスは悲痛な顔を浮かべた。エドワードとよく似た、だがエドワードよりも幾分か男っぽい顔が悲しげに歪む。
「兄さんは一度……恋人に裏切られたんです。兄さん自身はそんなこと言わないし、そう思うこともないでしょう。でも、事実を知る僕からすればあれは手酷い裏切りでしかない。兄さんは荒れたりしませんでした。ただ、仕方がないんだと笑っていました。……でも僕は忘れられない。あんなに悲しそうで切なそうな兄さんは初めてだった!」
「エルリック中佐……」
「兄さんとあなたのことに僕が口を出すのは分を越えていることくらい判ってる。でもどうしても聞いておきたかったんです。あなたは今度こそ兄さんを裏切らないと言えますか?」
裏切り、その言葉にロイの胸が軋んだ。エドワードとその恋人の間に一体何があったというのだろう。いつも穏やかなアルフォンスが激昂するほどの、一体何が。
「……彼はひどくアンバランスな人間だと私は思う。知性や精神は老成したものを感じさせるのに、不意に見せる少年らしい年相応な表情がともすれば危うくも思わせる。そんなところがひどく興味深いと思えるのだがね」
「…………」
「白状するよ。私は彼を手に入れたいと思っている。他の誰にも渡したくない。彼の恋人からも奪い取りたいと思うほど彼を……エドワード・エルリックを愛しているよ」
これだけはもう、偽ることが出来ない。たとえ法律が許さなくても、誰に後ろ指を指されても、胸を張って言えるただ一つの想い。
「時折……彼が漆黒の礼服を纏う夢を見ることがある。今は……誰よりそれを望んでいるのは私なのかもしれない」
気が付けば、それほどまでに心酔してしまっている。誰よりも近いところで彼を見ていたいと思う。ずっと前から彼を知っている他の人間達に嫉妬してしまうほど、彼のことを知りたい思う。
内心を赤裸々に語るロイを暫くアルフォンスは無言で見ていた。
「……出過ぎたことを訊きました。お許し下さい、准将。でも……その言葉を聞くことが出来て僕としては安心しました。僕は全面的に准将に協力しますよ」
「エルリック中佐……」
「さ、戻りましょうか、准将。そろそろ休憩時間も終わりますから」
促されて、ロイは視線を屋上から見えるセントラルの街並みに移した。
吐露した感情は加速するばかり、だがアルフォンスという強力な味方を得たことがこの会話の最大の収穫だった。
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