廃墟での約束
 とりあえずアンタは隠れてろよときつく言い含めて、エドワードは件の雑貨屋の裏口を抜けた。目の前には確かに、情報通り古びた教会が建っている。
 随分前に放棄されたものらしく、かつては美しい色彩を見せていただろうステンドグラスは幾つか割れてしまっていたけれど。

 教会の前に佇み、さてこれからどうしようかと僅かにエドワードは思案した。勢いで偵察に出てきたはいいが、下手をするとテロリストのアジトへ単身飛び込むことになってしまう。いや、それならばそれで構わないのだが。
 今更乱闘なり乱戦なりを恐れる彼ではないし、それに見合った実力も兼ね備えている。ただ見た目がそれを大きく裏切っているだけで。

 誰も今の彼を鋼の錬金術師かつ国軍中将だとは思うまい。
 別に変装をしているわけではないが、その二つの肩書きから連想されるのはもっと厳つい人物なのだから仕方がないというものだろう。
 エドワードに非があるわけではない。

 さて、どうしたもんかな。

 困ったように眉根を寄せた時、教会の横にあった小さな小屋から一人の老人が姿を現した。どうやらかつては信者の控え室として使われていたようだ。

「エド坊?」

 随分と懐かしい呼ばれ方に、エドワードは老人の方へと視線を向けた。そして驚きに目を瞠る。何故、ここに彼が?

「マクス老師? どうしてここに? アンタは西の……」
「あぁ、やはりエド坊か。久し振りじゃな。何年ぶりになるかの?」

 問われて、エドワードは記憶を探った。もうかれこれ……

「三年以上前になるかな」
「そうか。随分と背も伸びたようじゃな。僥倖だ」

 まるで孫でも見るような優しい瞳で、マクスはエドワードを見つめた。陽光の影となるこの場所でも、エドワードの黄金の髪は色褪せない。それを懐かしく思いながら彼は口を開いた。

「儂はな、バカ共を止めに来たんじゃよ。ちょいと派手なことをやらかそうなどと考えておる若造共に喝を入れにな」
「老師……、どうしてそれを俺に? 俺が軍に通報するとか考えないのか?」
「通報? 通報とな。……ふむ、ならば逆に聞いても良いか? 何故お主は問答無用でここを包囲しなかったのじゃ?」

 それは……、エドワードは言い淀んだ。こんなことを軍の狗でしかない自分が口にするのもおこがましいが。

「もう何も、失いたくない」

 それは掛け値なしの真実。

「血が流れなくてもいいように、誰も傷つかなくてもいいように、俺は話し合いを求めたい。軍を許せないかもしれない。けど、どうにか共存の道を見つけたい」
「お主がそういう人間だからじゃよ、エド坊」
「?」
「太陽の子、イシュヴァラの申し子よ。お主ならば作ってくれるか? 民が何者にも脅かされることのない、健やかな都を」

 言われた言葉の重さに、エドワードは目を瞑った。諾と、簡単に答えられることではない。けれど。
 流れる血は見たくない。作れるものならば作り上げたい。イシュヴァールの民だけでなく、全てのアメストリスの民が穏やかに暮らすことの出来る世の中を。

 一年半後、この国のトップは替わる。エドワードになるかロイになるか、その辺りはまだ未定だが、仮にロイが大総統になっても彼の理想とするところはエドワードのそれと同じだろう。
 争いのない世界、それを二人は望む。

「一年半、いや……二年、時間をくれないか? 俺達が世界を変えるから」

 男前な台詞を吐いて、エドワードは綺麗に笑った。それは、見る者に絶対の信頼感を植えつける、ある意味卑怯とも言える満面の笑みで。
 言葉もなく、マクスはそれに見惚れた。
 やはり、この少年ならばと見込んだ人物眼は外れではなかったようだ。

「お主以外が言ったのでは鼻で笑ったじゃろうが……、信じるよりなさそうじゃな。判った。このマクス、全身全霊でバカ共に灸を据えよう。とは言っても血の気の溢れた跳ねっ返りばかりじゃからちと骨は折れるがの」
「手伝おうか?」
「いや、今お主の手を借りたのでは老師の名折れよ。じゃがここから飛び出して行く若造にはお主自ら制裁を加えてもらえるか?」

 その頼みに心得たとばかりにエドワードは頷いた。
 セントラルでテロが起こらないのならばそれが何よりだ。他に望むことなどない。

「エド坊、いや……エドワード・エルリック中将と呼ぶべきか。未来は託したぞ」

 何だ、やっぱり知ってたのかよ。
 思ったがそれは顔に出さずにエドワードは首肯した。託されたのは重い、けれど光溢れる未来。

「約束だ。俺はアンタを、俺の言葉を裏切らない」
「あぁ、約束じゃ」

 まだ成人してもいない青年の、それもただの口約束。
 けれど二人にとってそれは何よりも神聖な誓いだった。

 今はまだ、光の届かない場所に燻っている彼らではあるが、いつかそこから連れ出すから。だから復讐など何も生みはしないことをどうか知って欲しい。
 返る刃で自らも傷付くことを。
 傲慢かもしれない。けれどただ真摯に願う。

 いつか本当に争いのない穏やかな日々が誰にも等しく訪れるように。
 この、朽ちた教会で。



 BACK    NEXT