燻る焔、研ぎ澄まされし鋼
 成り上がりと人は言う。いいさ、言いたいヤツには言わせておけばいい。それは俺にとって最大級の褒め言葉なんだ。
 だってそうだろ?
 いいトコの出でもない一般庶民の俺が自分の力だけでここまでのし上ったって、ヤツらはそう言ってるんだから。






 イシュヴァールの民によるテロの情報を得てから四日、流石にまだ動きはないらしい。漸く人並みに取れるようになった休日を毎度の如く持て余し、エドワードはセントラルの行きつけの古書店で穏やかな時間を過ごしていた。
 とはいえ彼が求めるレベルの本など、今となってはそう簡単に手には入らなくなっている。それでも古書店や図書館というのは心が休まる場所だ。根っからの研究者である彼は特別の用がない時はその辺りに出没していた。

「そう言えば中将、ご存知です?」
「ん? 何を?」
「いやね、最近旧市街の方に赤い目をした連中が入り込んでるって噂ですよ」

 普段は気軽にエドと呼ぶ主ではあるが、軍務に関わる話をする時だけはエドワードのことを中将と呼ぶ。その彼からもたらされた情報にエドワードは金色の瞳を眇めた。

「その話、詳しく聞かせてもらってもいいか?」
「はいよ。ちょっと待ってて下さい」

 頷いて主は店先のドアに準備中の札をかけるとエドワードを店の奥へと誘った。
 造り付けのキッチンで手早くコーヒーを淹れてエドワードに手渡してから、椅子に座り話を始める。

「私らはヤツらのことをどうとも思っていませんよ。戦争は昔のことだし、今更どうこう言ったところで死んだ人間が戻って来るわけでもないですしね。……ただ、セントラルは私の故郷です。だからこそ中将、アンタに守ってもらいたいんですよ」
「ああ、そうだな。故郷を守りたいのは誰しも同じだと思う。俺も、親父さんも、イシュヴァールの民達も」
「……そうですね。旧市街の……ルミナス通りとメチル通りの交わるところに一軒の雑貨屋があるんです。表通りからは見えませんが、実はその裏手に結構大きな教会があるんですよ。いや、教会と言っても今は使われてませんがね。そこに出入りしていると聞きました」

 聞きながらエドワードは脳裏に旧市街の地図を描いた。その雑貨屋は知っている。何度かセントラルに来た折りにアルフォンス用の油を購入したことがある店だ。
 しかしその裏手に教会などあっただろうか。
 淹れてもらったコーヒーの味を楽しみながら、それでも表情は瞬く間に軍人のものとなっていく。

「あ、でも中将。一人で突っ走っちゃいけませんよ。ちゃんとアルにも言っておかないと」
「判ってて教えてくれたんだろ? 俺が単独行動大好きなこと」
「そりゃ知ってますけどね。アルに怒られるのは私なんですから」
「あー、そりゃそうだ。アイツ、相変わらず過保護だからな。判った、電話借りていいか?一応連絡しとくよ」

 店主が頷くのを確認して、エドワードは軍部に電話を入れた。出来ることなら一人で隠密行動といきたいが、確かに立場というものがある。まぁ、非番の日にわざわざ仕事というのも味気ないとは思うのだが。

『はい、中央司令部第三遊撃隊執務室です』

 電話口から聞こえて来た声は、出来れば今は聞きたくない相手のものだった。

「あー、准将? 俺、エドワードだけど。アルいる?」
『いや、今は休憩中のようだ』
「ホークアイ大尉も?」
『ああ。どうした? 何かあったのか?』

 尋ねる声にしばし逡巡し、まぁこの際仕方がないかとエドワードは腹を括った。

「イシュヴァール人のアジトの場所の情報が入ったから、これから行って来るって伝えておいてくれるか? 場所は……」

 言いかけた時、向こうから言葉を奪うようにロイが言った。

『鋼の、場所はどこだね? 今すぐに私も合流しよう』
「は? いや、別にいいよ。確認するだけで乗り込もうなんて考えてないし。むしろアンタと一緒の方が目立つ」
『君一人で行っても同じことだろう。とにかく、待ち合わせ場所は?』

 このまま電話を切ってしまってもいいのだが、相手がロイなので電話を逆探知した挙句人の好い店主を締め上げるなんてことまでしかねない。
 仕方がない、一つ溜息をついてからエドワードは諦めたように言った。本当は彼を巻き込みたくなどなかったが、それではロイが納得しないだろう。

「待ち合わせは前にアンタとお茶した喫茶店。いいか、私服で来いよ? 着替えの時間ぐらいは待っててやるから、ちゃんと誰かに伝言しろよ」
『判っているさ。じゃあまた後で』

 電話を切るとどっと疲れた。どうしてこう、彼と話をするだけでこんなに緊張するのだろう。

「電話、ありがとう。じゃあ俺は行くよ」
「気をつけてな。マスタング准将にも宜しく」
「……って、知ってんの? 准将のこと」
「あぁ、彼も常連なのでね。それに有名人だ、噂は良く耳にする。勿論エド、お前さんもな」

 いつもと同じ気安い口調に戻った店主にもう一度礼を言い、エドワードは店を出た。本当に一人で動く方が気楽だというのに、エドワードの周りにいる人間は皆度が過ぎるほど過保護だ。もう、守られなければならないほど子供ではないのに。
 それとも、彼らからすれば今でも危なっかしいただの子供にしか見えないのだろうか。

 自分の考えに軽く凹み、エドワードは晴れ渡ったセントラルの空を忌々しげに見上げた。

「クソ、俺だって少しは成長してるんだぞ」

 背だって伸びたし、と続けそうになって、それはそれで自分のプライドの在りかがどこにあるのかを表明してしまうようで止めた。
 いつまでも子供ではないのだ。
 軍属になって六年、実際に軍に入ってから二年以上が経とうとしている。綺麗なもの、汚いもの、それこそ同い年の子供よりはずっと見てきた。
 もう、誰にも子供だなんて言わせない。
 守られているだけの子供じゃない。

「見てろよ、准将。いつか俺がいなきゃダメなんだって言わせてみせるからな」

 拳を突き上げ蒼天に誓う。少しばかり集まる視線が痛かったが、そんなこと気にせずに。






「本当に君は目が離せないな」

 開口一番ロイはそう言った。思わず眉根を寄せてしまったエドワードに彼は続ける。

「非番だからと安心できない。アクシデント体質は健在なのかね?」
「俺が事件を起こしてるんじゃない。事件が勝手に寄って来るんだ。それに、情報は多いに越したことはないだろ?」

 憮然とした表情でエドワードは言い返した。それに今日はまだ何も起こっていない。イシュヴァール人のアジトの情報をただ入手しただけだ。

「それに、今回はアンタが来た方が厄介なことになるって判ってんのか? アンタ、イシュヴァールの英雄って呼ばれた男なんだぞ?」
「南部戦線の英雄にそう呼ばれると何やらくすぐったいな」
「……アンタさ、有名人だって自覚しろよ? ただでさえイシュヴァール人に目の敵にされてんだからな」
「あの戦いの生き残りに直接私を見知っている者はいないよ」

 やけにきっぱりと断言されて、エドワードは口を噤んだ。

「戦場で私の焔がもたらすものは火傷程度では済まない。全てを焼き尽くす、それが私の焔の役目だったからな」

 街も、人も。言うロイの表情からはどんな感情も伺えない。それほど静かな瞳を彼はしていた。過去を思い出してでもいるのだろうか。

「……後悔していないと言えば恐らく嘘になるだろう。この手で奪った者達に報いる為にも私は上を目指そうと誓った。無意味な戦いに傷つく者がいない世の中を作りたいと願った。その為に軍を変えようと」
「准将……」

 ここまではっきりと、ロイが自らの野望をエドワードに語るのは初めてのことで。何と言っていいのか判らず彼はただロイを真っ直ぐに見つめた。
 ロイが理想とする世界は、エドワードの理想と同じもので。

「今の私が何を言っても意味がないと君は思うかもしれないが」
「そう思ってんのはアンタだけじゃないのか?」

 言ったエドワードの言葉に、ロイの瞳がやや見開かれた。

「意味があるとかないとか関係ないだろ? アンタがやると決めたことなんだ、最後までやり通せよ。もしも本当にそう思ってんなら、もう自分には出来ないとか思ってんなら俺がやる。俺が変えてやるよ」

 上に立って。軍部の在り様そのものを変えてやるから。

「もうアンタの焔が悲しい戦場で使われなくてもいいような世界を作ってやるよ」

 子供の我侭かもしれない、それでもこれだけは譲れない。
 ロイが心の奥底で悲しみと後悔だけを抱く世界など終わらせてやるから。
 大通りを歩きながらする会話ではないかもしれないが。

 エドワードは立ち止まり、ロイに指を突き付けた。

「見てろよ? あの日、俺に焔をつけたのはアンタなんだ。最後まできっちりと見届けろよ?」
「……鋼の……」

 あの日とか、焔をつけたとはどういう意味だとか、聞きたいことは色々あった。だがそれはエドワードの迫力に呑まれて言葉にはならず。
 ただ目の前で綺麗に笑うエドワードに見惚れることしか出来なくて。

「子供の本気をなめんなよ?」

 認識を改めなければならないかもしれないと思った。
 彼が、一人の人間として酷く魅力的なのだと。



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