「君にとっての彼の存在は、あれから少しでも変化したかい?」
午後のお茶の時間に、この国の実権を事実上握っている大総統キング・ブラッドレイはそんな風に話を切り出した。だが言われている意味が微妙に理解できず、エドワードは首を傾げる。
「アイツのこと? それって記憶を失くす前と失くした後ってこと?」
「うむ。何か君の中で想いの差のようなものはあるのかね?」
どうやら真面目に尋ねられているようなので、エドワードも真面目に自分の中で答えを探した。とは言われても、変わったところなどそうそう思い浮かばない。
「うーん、それって結構難しいな。俺は別に比べて見てるわけじゃないしなぁ」
「そうなのかね?」
「うん。何しててもアイツはアイツだし」
エドワードの言葉にブラッドレイは束の間考え込み、そして質問を変えた。
「ではマスタング君自身の変化はどうかね?」
「えー? 准将の? あ、一つあった」
「何かね?」
「サボらなくなった」
「…………」
それは東方から来たメンバーにとっては驚天動地の出来事なのだが、流石にブラッドレイには判らなかったらしい。
「だってさ、記憶がないってことはつまり、アイツと俺は出会ってなかったってことになってんだからさ。それ以前のアイツのことなんて俺が知る筈ないし。あ、もう一つあった。これは俺が確認したわけじゃないけど、女の人に靡かなくなったって」
「ふむ、それは随分な変化だな」
どうやらロイの女好きの噂は大総統府まで届いていたらしい。まぁ軍部内でも有名なのだ、無理もない。
「そのことについて彼に尋ねてみたかね?」
「何で俺が? 訊ける間柄でもないだろ?」
「一応今は君が上司ではないか」
「あー、まぁそうなんだけどさ、部下の恋愛話に首を突っ込むのもなぁ……」
言いながら少しだけ温くなってしまった紅茶のカップに口を付ける。ここで用意されているフレーバーティはいつだってエドワードの好みのものだ。以前はロイの自宅と東方司令部に用意されていたもので。
少しだけ過去を思い出しエドワードは遠い瞳をした。
「ほんのちょっと、寂しいなって思うことはある。俺はアイツのこと忘れてないし、今だって好きだけど。アイツはどうなのかなって。俺のこと、少しは気にしてくれてるのかなって。怖くて、結局いつも訊けないけどさ」
記憶が戻るかどうかは五分だと思う。戻らない可能性だって十分考えられることで。だからといって今更この想いをなかったことにするなどエドワードには多分出来ないだろうけれど。
ロイはいつか、思い出すのだろうか。自分が焔をつけた子供のことを。自分の言葉で前に立って歩き始めることが出来るようになった子供のことを。
思い出してくれなくてもいい。今のエドワード自身を好きになってくれればそれで構わない。ずっとそう言い続けてはきたけれど。
距離が近くなる毎に、甘えも出て来るのだ。
思い出して欲しいと、愛されたいと心のどこかが叫ぶのだ。まるですすり泣くように。
「期限は後一年と少しだ。それまでに彼は思い出しそうかね?」
「あー、どうだかな。無理かもしれないな、何かきっかけでもない限り」
「きっかけ?」
「うん。けどさ、それが判れば誰も苦労しないんだよな」
これは催眠術などではないから、記憶を取り戻すキーワードもない。ただひたすらに彼を信じて待つことしか出来ない。
「待つっていうのは結構辛いものなんだな。まぁ、俺が自分で決めたことだから仕方ないけど」
「エドワード」
手にしていたカップをテーブルに置き、ブラッドレイは真っ直ぐエドワードを見据えた。
「約束を覚えているかね?」
「ああ。アイツの記憶が戻らなかったら俺がアンタの後を継ぐって話だろ? 覚えてるさ、勿論」
「それならばいい。覚悟は出来ているのだね?」
「ま、その時は仕方ないからな。思う存分アイツを部下として扱き使ってやるよ」
泣き言は一切聞くつもりはないとエドワードは言い切った。確かに彼の気性からすれば出て当然の言葉だろう。
実際、将軍位にある者皆から囁かれ始めているのだ。次期大総統に鋼の錬金術師エドワード・エルリック中将を――と。
推されるに申し分のない実力と前歴の持ち主であるからこそ。
「私はどこかで賭けに勝つことを期待しているのだがな」
「さぁな。アンタが賭けに勝ったとしても、結局アイツが俺に惚れてさえくれれば万事オッケーなんだけどな、俺としては」
「ああ、それは申し分のない結果だ」
「だろ?」
悪戯小僧のような笑みを浮かべ、紅茶を飲み干してからエドワードは席を立った。大総統府に来てからもう随分の時間が経っている。そろそろ戻らねば、ホークアイ並に厳しい副官からお小言を貰う羽目になるだろう。
「じゃあ、俺はそろそろ戻るわ。またな、おっさん」
「ああ、気を付けて」
頷いてエドワードはブラッドレイの執務室から出て行った。長い大総統府の廊下を歩き中央司令部に戻るために中庭に出る。眩い陽光がまるでエドワードを癒すかのように包み込んだ。
「……カッコ悪いな、俺。おっさんの前で泣き言言うなんて」
唇を噛む。何故だか昔からブラッドレイに隠しごとが出来た試しはない。いや、別に隠そうと思っているわけではないのだが、何故だかするすると言葉にさせられてしまうのだ。それは彼が持つ話術故かもしれないが。
「さぁて、気合を入れ直して戻るとするか」
こんなみっともない顔、部下の誰にも見せられない。恋に泣く、子供のような顔などロイ以外の誰にも。
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