遠い背中
 無理矢理にエドワードから休暇をもぎ取って、アルフォンスは久し振りにイーストシティを訪れていた。鎧から元の姿に戻って二年半が経つ。それ以来の訪東だった。
 時折小さな変化はあったけれど、全体としては何も変わっていない懐かしい街にアルフォンスの顔に穏やかな笑みが浮かぶ。ここは故郷と呼べるもう一つの場所だ。長い旅暮らしの間、いつでもここに戻る時には『帰る』と言っていたのだから。

 とはいえ、アルフォンスは私服ではなく軍服を纏っていた。肩にある少佐の階級章にも随分慣れ、いつからかしっくりと馴染むようにもなっている。それもその筈、二年半もの間ほぼ毎日この姿をしているのだから。
 胸のポケットには国家錬金術師の証である銀時計。私服で来てもそれだけ持っていれば十分身分証明にはなるのだが、やはり司令部を訪れるとなるとそれなりの覚悟がいる。しかもエドワードと一緒ではなくアルフォンス単独で司令部を訪れるのはこれが初めてなのだから緊張しても仕方がない。
 たとえ、何度となく足を踏み入れた場所であっても。

「さて、行こうかな」

 軽く呟いてから宿を出、大通りの突き当たりにある東方司令部へと足を向けた。
 受付で馴染みの人を呼び出してもらう。本当は階級章にものを言わせて奥まで通ってもいいし、エドワードならば迷わずそうするであろうところをアルフォンスはしない。生身の姿という抵抗感のせいも多分にあるのだが。
 待つことしばし、廊下の奥の方から二人の見慣れた人物が走って来た。
 その二人に向かい、アルフォンスは柔らかな笑みを浮かべる。

「お久し振りです、ホークアイ中尉、ハボック少尉」
「……アル? お前、本当にアルフォンスなのか?」
「やだなぁ、僕ですよ。そりゃ、二年半も不義理にしてましたけど」

 纏う雰囲気は鎧姿の時のままで。それに気付いた二人は驚きの表情をやっと満面の笑みに変えた。

「久し振りね、アルフォンス君。いえ、その姿では少佐とお呼びしなければならないかしら?」
「あはは、いいですよ。皆にそう呼ばれるのなんてくすぐったいし、第一寂しいじゃないですか。それに僕は休暇中なんです。だから気にしないで下さい」
「休暇中って、エドは? セントラルか?」
「そうです。僕だけ無理言って休暇を取ったので」

 大佐のことでちょっと確認したいことがあったものですから。言ってアルフォンスは僅かに瞳を眇めた。そういう顔をすると確かにエドワードに通じるものがある。

「それはここで出来る話じゃないようね。いらっしゃい、アルフォンス君。向こうで話をしましょう。皆も呼んで来るわ」
「あ、じゃあ俺行って来ますよ。第一会議室でいいっスか?」
「ええ、お願いね」

 頷いてハボックが司令室へと駆け戻る。その後ろをのんびりと歩きながら、ホークアイは隣に立つアルフォンスを見上げた。本当は、生身に戻ったアルフォンスを彼だと信じることなど出来ないような気がしていた。内線で来訪を告げられた時、まず思ったのはそのことで。けれど今は違う。彼が彼であると確かに感じるのだ。
 姿形ではなく、それは彼の本質を知っているが故に。

「中尉、大佐はお元気ですか?」
「ええ、勿論。あれからは何故か脱走することもなくなって、仕事もスムーズに進むようになったわ」
「大佐の脱走癖、凄かったらしいですね」

 生憎アルフォンスはその現場を目撃したことなどなかったが、話にはよく聞いていた。その度にホークアイが銃でロイを躾ているという話も。

「おかげで銃弾の減りも少ないの。ちょっと張り合いには欠けるけれど」
「あはは、そうでしょうね」

 手のかかる上司だったからこそ、ホークアイも生き生きと銃を取り出していたのだろう。東方司令部最強の噂は遠くセントラルまで届いている。

 廊下を歩く間は、誰が聞いているか判らない。だからこそきわどい話題も出来ないし、あえて二人ともそんな話題を避けた。
 けれど密室に入ってしまえば話は別だ。ここぞとばかりに、ホークアイはずっと訊きたいと思っていたことを尋ねてみた。

「アルフォンス君、どうしてあなたは軍に入ったの?」

 一瞬、アルフォンスは面食らったようだった。今更そんなことを訊かれるとは思わなかったのかもしれない。

「そうですね……、色々と理由はあるんですけど。一番大きかったのは、兄さんの支えになりたかったからです。兄さんの背中を護りたかった」
「エドワード君の?」
「ええ。大佐が記憶を失ったことで、兄さんは随分落ち込んでました。これは大佐も知らないことだと思いますが、大佐に告白された後くらいに兄さんが僕に言ったんです。罪を犯した俺が誰かに特別に愛される資格なんてあるんだろうか、もしもそんな相手が出来てもまた失うんじゃないだろうか、そう考えると返事をするのが怖い、って」

 そして杞憂は現実のものとなり、エドワードは恋人であるロイを失った。命は失われていなくても、二人が恋人であった事実は失われてしまった。

「兄さんは何も言いません。僕にも笑って大佐の話をします。けど……兄弟だから判ることもあるんです」

 アルフォンスの言葉に、痛そうな顔をしてホークアイは黙り込んだ。何も、言えない。あまりにその言葉が重くて。

「僕は兄さんの特別だと自負しています。けれど弟だから恋人にはなれない。僕も兄さんも互いにそんなものは求めていない。兄弟ってそういうものでしょう?」

 血の絆は切れない。たとえ何があろうと、あの過酷な旅を潜り抜けて来た兄弟の絆は切れない。けれど……。
 切れてしまったエドワードとロイの間の絆、それをもう一度繋ぐことが出来るなら。エドワードが心からの笑みを浮かべられるようになるのなら。
 弟としてどんな協力も辞さないつもりだ。
 それが、軍人を選んだ最大の理由。

「つーことは、大佐のエドへの思いを確認したくてわざわざ来たのか?」

 気が付けば、東方司令部のいつものメンバーが会議室にやって来ていた。どうやら話し込んでいて気付かなかったらしい。

「大将、そんなにヤバい状態なのか?」
「いえ、表面的には大丈夫です。仕事も完璧ですし、多分誰にも気付かれていません。けれど口に出せない分、溜まっていくものはあるでしょう?」
「あー、まぁな……」

 全員の脳裏にエドワードの勝気な表情が思い浮かんだ。意地っ張りな彼ならば確かに、にっこり笑って大丈夫だとでも言いそうだ。心の中で涙を流しながら。

「でも大佐の浮いた話なんて僕は聞いてないですよ」
「そうですな。記憶をなくしてから二年半、ことごとく女性の誘いを断っておられます。まるで仕事の虫ですな」

 フュリーの言葉をファルマンが補足した。この二年半というもの、タラシの異名を流したロイ・マスタングらしくない行動ばかりが浮き彫りになっていて。その原因が何であるかまでは誰にも判らないのだが。

「ちなみに大佐は大将と最近会ってないっスよね?」
「ええ、最近どころか最後に顔を合わせてから二年くらい経つんじゃないですか?」
「電話では時々話をしているようだけれど、それも仕事のことばかりね」

 それではあまりに接触がなさ過ぎるではないか。

「去年の大佐の査定の時は僕達セントラルにいませんでしたしねぇ」
「そうそう! それで大佐がすっげー凹んでたよな、一時期」
「ああ、そういえばそうでしたな」

 ……アレ? それって要するに?

「大佐ってエドのこと……?」
「記憶がなくても気になっているということなんじゃ……?」

 ここで、だったらいいよなーあははー……という話にならないのが東方司令部で。

「確認しましょう」

 きりっとした表情を浮かべてホークアイは言い放った。それはもう、思わず拍手したくなるくらいの凛々しさで。
 やはり東方司令部を裏で仕切っているのは彼女であるらしい。

「しかし確認すると言っても一体どうやって?」

 フュリーが控えめに問いかけると、横からハボックが言った。

「大佐にセントラルまで行ってもらえばいいんだよ。適当な用事を付けてな」
「ああ、なるほど……って、ええ? エドワード君に逢う為だけにセントラルへ?」
「大佐の査定は今から一ヶ月後ですし、少し早めに受けるように勧めてはどうでしょう?」
「あ、その方がいいかもしれません。丁度またその頃は僕達、セントラルにいないでしょうから」

 今行かないとまた会えなくなりますよとでも言えば、ロイのことだ、嬉々として列車に乗り込むのではないだろうか。
 幸いにしてロイが勤勉に働いているおかげで書類も溜まっていないことだし。

「それならば尚更都合がいいわね。調整をつけて三日後には大佐に向かってもらうわ。アルフォンス君の休暇はいつまで?」
「僕は明日にはセントラルに戻ります。僕がいないと兄さん、すぐに徹夜仕事をしちゃいますから」
「エドらしい……」

 話は纏まった。ロイを動かすのはホークアイの手腕次第だし、それを焚きつけるのは他のメンバーが日頃やっていることだ。肝心のエドワードの予定は戻ってからアルフォンスが調整すればいい。

「やっぱりあの二人は一緒にいてくれないとな」
「そうですね。僕もそう思います」

 まさか自分達の知らないところで話が勝手に進められているとも知らず、こうして二人の再会は約束された。



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