中央から東方司令部に戻ると、定時を大幅に過ぎていたにもかかわらずまだホークアイ他側近の部下全員が居残っていた。恐らくは中央でロイがボロを出さなかったかどうかを心配しているのだろう。
ロイの失脚はつまり、彼らの失脚を即意味するのだから。
「お疲れ様でした。セントラルは如何でしたか?」
「ああ、嫌味を言われるのはまぁいつものことだがね。……そうそう、鋼のに会ったよ」
「……准将に?」
やや驚いたような表情でホークアイは問い返した。まさかナチュラルにロイの口から彼の話題が出るとは思わなかったからだ。
「ヒューズに呼び出された時に、彼も一緒だったんだ」
穏やかにロイは言い、僅かに目線を下げた。脳裏に彼の姿を思い描く。軍部内では珍しくもない、むしろ当たり前である軍服も、何故か彼が着ていると特別誂えのようで。
青と金の組み合わせなど部下にも二人いるというのに。
「元気そうでしたか?」
「そうだな、元気そうだった。昨日にはもう南部に戻っただろうが」
「内乱終結の為に志願したとエルリック少佐から伺っています。もうじき二ヶ月近くになるとか」
その連絡を受けたのはホークアイである。丁度ロイがセントラルに召還されている間のことであったので彼には伝えられなかったが、この調子ではどうやらエドワードの口から聞いたのだろう。
「ケスラー少将が更迭された話は聞いたか?」
「はい。准将と少佐が少将の汚職を調査されたそうですね。ヒューズ中佐にも協力して頂いたとか」
ホークアイが言うと、ロイは目を瞠った。どうやらそこまでは聞かされていなかったらしい。
「なるほど、だから彼はヒューズと一緒だったんだな」
確かによく考えてみれば、何かしらの用件がなければ国家錬金術師機関からわざわざ軍法会議所になど出向かないだろう。徹夜を要するほどの仕事に追われているなら尚更のことだ。
「……恐らく南部の指揮は鋼のが執ることになるだろう。君は何日かかると思う?」
「そうですね……、長引いている現在の状況から考えて一ヶ月というところでは?」
「甘いな、一週間だ。彼ならばそれくらいやってのけるだろう」
「……大佐、准将と何かあったのですか? セントラルに呼ばれる前とは随分と評価が変わっているように思えますが」
尋ねると、ロイは僅かに考え込んだ。少し話をして食事を共にしただけで、彼のことなどまだ何も知らないに近い。ただ呼び方が変わっただけだ。これから先、彼の姿を見かけた時に声をかけてもいいのだと思えるようになっただけだ。
ロイよりはホークアイやヒューズの方が遥かにエドワードについては詳しいだろう。
……けれど。
「判るような気がするんだ。彼についての記憶は確かに私の中にはないが、確信のようなものだろうな。彼ならばやれると思うのは」
「では一週間後が楽しみですね。また大佐との階級差が開くかもしれませんから」
「…………」
それには思わずロイも沈黙してしまった。確かにそれは否めない。否めない……のだが。そうなるのも仕方がない、むしろそうなるだろうと、どこかで彼が上に立つことを受容し始めている自分がいることにもロイは気が付いていた。
彼が纏う漆黒の礼服を見てみたいと。
「准将っ! 大丈夫ですかっ!?」
脇腹に感じた灼熱感に、思わずエドワードは小さな呻き声を漏らした。
「まさか小官を庇って下さるなんて……」
「お前は大丈夫か?」
奇襲をかけられて、壁の錬成が間に合わなかった。いや、正確には咄嗟に自分の周囲に錬成はしたのだが、部下が撃たれそうになったのを目にした瞬間思わず飛び出してしまったのだ。文字通り、身体ごと。
「准将、動かないで下さいっ! すぐに軍医を呼んで来ますから!」
アルフォンスが怒鳴るように言ったのを立ち上がることで遮り、エドワードは再び手を合わせた。近くではまだ銃撃音が響いているというのに、傷つき倒れる者がいるかもしれないというのに、指揮官たる自分だけが安全な場所で手当てを受けることなど出来ない。
「大した傷じゃないから大袈裟に騒ぐな。少し抉られただけで内臓は傷ついてない。それよりも今は奇襲兵の相手だろう? 命懸けの特攻を企てるぐらいだ、ここさえ凌げれば戦は終わる」
「しかし……」
「いいからお前達は行け! これ以上死者を出すな!」
これ以上無益な戦いで部下を死なせるわけにはいかない。戦場では下っ端の兵から死んでいく。そんな様をこれ以上見たくない。
「心配するな。すぐに俺も戦列に戻る」
簡単な応急手当ならば自分で出来るから。四年に渡る旅の途中、何度か死にそうな目にも遭って来た。それを思えばこの程度の傷などかすり傷だ。
「それから、俺が負傷したことはここにいる者の胸に収めておけ。士気に関わる」
「Yes,sir!」
全員が一斉に敬礼をし、持ち場へと駆けて行く。それを見送ってからエドワードは手近な布を包帯に錬成して傷を縛った。とりあえず止血さえしておけば動ける。治療など今日の戦闘が終了した後で構わないのだから。
日も暮れる頃、戦闘は終了した。捕らえた者の話によれば、彼らの拠点となっている場所に残る兵力はごく僅かであるらしい。明日にも内乱終結の報を大総統府へと送れるだろう。
天幕に戻り地図を眺めていたエドワードのところへアルフォンスが戻って来たのはそれから暫くしてのことだった。
「失礼します。……兄さん、手当てはしてもらったの?」
「おう。もう大丈夫だ」
「って言うか、何かいい匂いしない? 何か付けてるの?」
ひくひくと鼻を動かしながら尋ねてくるアルフォンスに、エドワードは思わず苦笑いを浮かべた。
いい匂い、その言葉に思い当たったからだ。
「ああ、俺がいつまでも血の匂いをさせてるわけにもいかないからな」
敏感な者であれば必ずエドワードの負傷に気付くだろう。だからこその措置。
「香水? いつの間にそんなもの買ったのさ?」
「ああ、そうか。結構前から使ってるんだ。その時はお前、まだ鎧姿だったからな」
「そんなに前から? 知らなかった……。何時の間にか兄さんもお洒落に気を遣うようになったんだね」
「ま、こういう時は便利だよな」
血臭隠しに使うのはどうかとも思うが。
大体、本来の目的は全く違うのだ。出来ればこれ以上突っ込んで欲しくない。
が、事情を知らないアルフォンスは物珍しさからか更に話を続けた。
「柑橘系? 甘いってほどじゃなくって爽やかな感じの匂いだよね? 自分で買ったの?」
「自分で買わなきゃ誰が買うんだよ?」
「え? 大佐に貰ったとか?」
「馬鹿言うな。俺が、自分で買ったんだよ。もういいだろ? この話は終わりだ。それよりも明日の布陣のことだけど」
強引に話を終わらせてエドワードは広げていた地図を指差した。そこには今日聞き出した反乱軍のアジトが幾つか記されている。そこさえ制圧してしまえば内乱は終わるのだ。
瞬時に軍人の顔になったエドワードに倣い、アルフォンスもまた副官の仮面を被った。エドワードの考え通りに手筈を纏める為に。
内乱終結の報は瞬く間に軍司令部に広がった。
「大佐の言った通り、本当に一週間だったな」
休憩中、紫煙を吐き出しながらハボックが呟くと、周囲にいた人間が大きく頷いた。
「エドワード君……じゃなくて准将って本当に凄い人だったんですね」
フュリーもまたポツリと呟く。彼ら東方司令部の人間にとってはいくら上官とはいえ、エドワードはあくまでも弟のような存在だった。庇護し、いざという時には護るべき存在だった。だというのに。
「すっかり雲の上の人なんだよなぁ……」
感慨深げにブレダが言う。彼は結局エドワードの指揮下に入ったことはない。ロイと一緒に襲撃を受け病院のベッドの上にいたのだから現実感が沸かないのも無理はないが。
「あー、けど確かに大将は凄かったよな。まぁなんだ、いつまでも子供じゃないってことか」
「ハボック、そうは言うけどな。俺は見たことないんだぞ?」
「いいじゃないか。どっちにしろ俺達は大将の下に呼ばれるんだろ? その時になれば判るって」
「まぁな」
いずれはセントラルに召還される。それも、エドワードの下に。これはもう決定事項だ。エドワード自身がそう断言したのだから間違いはない。
「近々昇進の話も出てるって?」
「あー、大佐がそんなこと言ってたな。その割りに嬉しそうだったけど」
一体どういう心情の変化があったのか、セントラルでエドワードと話をして以来、ロイは彼に対するあからさまな敵愾心を捨て去ってしまったらしい。それは構わないのだが。
「大佐もそろそろ昇進するのかね?」
「じゃないか? セントラルに栄転ならそうなるだろ」
「だったらいいですな」
ファルマンも頷いた。エドワードが上官というのは何となく釈然としないが、それでも手に負えない権力の亡者が上に立つよりは余程マシだ。気心が知れている分、彼ならば東方司令部の面々を動かすコツも判っているだろう。意外に頼りになる上官かもしれない。少なくとも、記憶を失くしているロイにとっては。
「後は大佐次第ってことか」
「だな」
「そうですね」
そう、後はロイが記憶を取り戻せるか否か、それにかかっているのだ。
どちらにしろ、新しい物語はセントラルで花開く。それももう、遠い先のことではなかった。
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