南部戦線異常あり
 その書類がエドワードのところに回ってきたのは、彼が国家錬金術師機関の長となってから四ヶ月が過ぎた頃だった。
 重厚なデスクの上に積まれた未決済書類の中からそれを発掘してしまったエドワードは思わず秀麗な顔に眉を寄せむっつりと黙り込んだ。補佐官であるアルフォンスが驚いた顔をして見つめてくるのにも頓着せず、ぎりっと拳を握ると立ち上がる。

「アル、ちょっと大総統府に行って来る」
「……判った。僕は行かなくてもいい?」
「ああ、仕事進めておいてくれ。多分、近いうちに南部に行くことになる」

 南部……、その言葉にどの書類の件か思い当たったアルフォンスは笑顔で言った。

「僕も連れて行ってくれるよね?」

 それは有無を言わせない笑顔で。やや気圧されてしまったが、エドワードは困ったように一つ頷くと書類を手に執務室を出て行った。



 機関から外に出ると柔らかい陽光が燦燦と降り注いでいた。絶好の行楽日和、ロイ辺りであれば絶好の昼寝日和とでも言いそうな陽気である。歩く度に高く結い上げた金の髪が揺れ、陽光を弾いて煌いた。
 国家錬金術師機関は大総統府を中央司令部と挟むような位置に建っている。
 散歩気分で大総統府まで歩き、エドワードはキング・ブラッドレイへの面会を申し入れた。通常彼への面会は何日か待たねばならない。他の人間が考えているほど大総統は暇ではないのだ。
 しかし。

「どうぞお通り下さい、エルリック准将」

 エドワードに関しては別である。ブラッドレイに会うのに、彼は一度も待たされたことなどなかった。それは彼にだけ許された特権というヤツで。

「ありがとう」

 にっこり、人好きのする笑みを浮かべて受付嬢に礼を言うと、そのまま大総統秘書官室へと歩を進めた。本当ならいきなりブラッドレイの執務室に押しかけてもいいのだが。流石に来客中などであればマズイ。念の為に確認を取った方がいいだろう。
 コンコン、軽くノックをしてから秘書室の扉を開ける。

「こんにちは。今、大総統って何してる?」
「やあ、エドワード君。閣下は書類の決裁中だが……、何かあったのかい?」

 アルサー少佐を筆頭に、秘書室のメンバーは以前と変わらぬ空気で彼を迎えた。階級が大幅に上がったというのに、エドワード君と呼ぶのはここの人間だけだ。

「うん、機関の方に上がってきた書類のことでちょっとね。じゃあ通るよ?」
「ああ、今なら大丈夫だ。すぐにお茶を入れよう」
「ありがとう」

 気遣いに感謝しながら、エドワードはブラッドレイの執務室の扉を叩いた。そして一応名乗りを上げる。

「エドワード・エルリック准将です。入室しても宜しいでしょうか?」
「ああ、入りたまえ」

 促されて扉を開けると、やはり大量の書類に埋もれたブラッドレイが執務机に向かっていた。どこも同じだな、思いながらゆったりとした歩調で歩み寄る。

「エドワード、何かあったのかね? 表情が優れないようだが」
「……やっぱ判る? アルサー少佐達にも見抜かれなかったのに」
「そりゃあ君のことだからな。それで?」

 促されて来訪の目的を告げた。対外的には決して褒められた口調ではないが。

「南部戦線指揮官のケスラー少将から回ってきた書類なんだけどさ、あの親父の管理下の国家錬金術師三人に出陣命令が出てるんだ。けど、その三人って市井で研究してる人達なんだ。機関としては許可は出せない」
「ふむ……、しかしわざわざ国家錬金術師を投入するということは、かなり泥沼化しているということではないのかね?」
「そりゃあな、そうだろうよ。内戦が勃発してから四ヶ月になるのにまだ決着がつかないんだから。けどさ、そんなところに経験のない一般人を投入したところでイシュヴァールの二の舞になるのがオチだ。俺は賛成できない」

 エドワードはきっぱりと言い切った。勿論、代用案は頭の中にある。国家錬金術師機関長としての決断が。

「だから、俺とアルフォンスが行く。自分で言うのも何だけど、戦闘経験がないヤツを行かせるよりは俺達が行った方がよっぽど早く片が付くと思う」
「ふむ……。覚悟は出来ているのかね?」

 覚悟、その言葉にエドワードは強い眼差しでブラッドレイを見返した。そんなものはとっくに出来ている。アルフォンスと二人、正式に軍人になった時から。

「よろしい、ならば許可しよう。鋼の錬金術師エドワード・エルリック准将と鎧の錬金術師アルフォンス・エルリック少佐に南部戦線への従軍を命ずる」
「拝命しました」

 綺麗な敬礼でエドワードはそれに応えた。






 ブラッドレイとの堅苦しい話も終わりエドワードが暢気にお茶を飲んでいた頃、機関の方に来客があった。それもわざわざエドワードを訪ねて。

『エルリック少佐、准将に面会希望の方がいらしているのですが』
「あー、タイミング悪いですね。准将、今大総統府に行ってて」
『では如何致しましょうか。お引取り願いますか? それともお待ち頂きましょうか?』
「そうですね……、念の為名前を伺っておきましょうか」
『申し訳ありません、申し遅れました。紫水の錬金術師ハワード・マリク殿、透徹の錬金術師オスカー・リベラ殿、陽明の錬金術師リック・ガーフィールド殿です』

 思わずアルフォンスは耳を疑った。その三名はケスラー少将から出陣依頼があった国家錬金術師だ。

「どうぞ、通して下さい。准将が戻るまでこちらでお待ち頂きますので」
『判りました』

 電話を置き、一つ息を吐いてからアルフォンスは再び受話器を取り上げた。ダイヤルするのは大総統秘書室だ。早急にエドワードを呼び戻さねばならない。
 幸いにもすぐに連絡が取れ、エドワードからこちらへ戻るという確約を受けた時、案内の下士官に連れられて三人の国家錬金術師が執務室を訪れた。

「突然お邪魔して申し訳ありません」

 申し訳なさそうに口を開いたのは三人の中でも最年長である陽明の錬金術師リック・ガーフィールドだった。

「いえ、どうぞかけてお待ち下さい。准将はすぐに戻られるそうなので」
「ありがとうございます」

 緊張しているのが目に見える。余程の重大事を持ち込むつもりなのだろう、三人が三人ともガチガチに強張っているのが見て取れて、アルフォンスは柔らかい笑みを浮かべた。下士官が来客に茶を淹れて来ても、礼を言うだけで手を付けようとはしない。

(困ったな、そんなに緊張しなくてもいいんだけど)

 思って、どうしようか思案していたところにエドワードが戻って来た。電話をかけてから僅か五分、随分早い帰還である。どうやら急いで戻って来たらしい。

「済まない、待たせたな」

 エドワードが言うと、三人は恐縮したように頭を垂れた。

「俺が国家錬金術師機関長、エドワード・エルリックだ。宜しく頼む」
「…………っ! 鋼の錬金術師……!」

 驚くのも無理はない。恐らく、国家錬金術師の中で一番世間に名が知られているであろう人物が目の前にいるのだ。しかも、噂通りの少年の姿で。

「ああ、別に固くならないでくれ。俺はアンタ達より若輩者だ。階級なんか気にしなくていい。同じ国家錬金術師として対等に話してくれないか?」
「しかし……」
「構わないって。誰が聞いてるわけでもないんだし。それより、用件を聞こうか?」

 促されて、三人は戸惑ったように視線を交わした。どうやら噂に聞く鋼の錬金術師は随分と気さくな人物であるらしいと判断したのだろう、思い切ったように口を開いた。

「実は、我々は先ほどケスラー少将に呼び出されて、出陣命令を受けました。しかし……」
「ああ、そのことか。ウチにも書類が回ってきてる。で、アンタ達が揃って来たってことは、行きたくないんだろう?」
「……軍命には無条件で従う、それが義務なのは判っています。従わなければ資格剥奪の責めにあっても仕方がないと思います。それでも……あの方の為に死ぬ覚悟は出来ていません」

 きっぱりと言い切って三人は切羽詰った瞳でエドワードを見つめた。ここでこの言葉を吐くことがどれほどの重罪に当たるか、三人はよく判っている。それでも、どうしても拒否したい。その覚悟が見て取れてエドワードは苦笑いを浮かべた。

「まぁ、いいんじゃないか? 実はそのことで俺はたった今大総統のところに行って来た。アンタ達に対する出陣命令は俺も納得が出来ない。戦場に市井の錬金術師は出向くべきじゃないってのが俺の意見だ」
「准将……」

 エドワードの言葉に目を瞠る。それはそうだろう。今まで何人の国家錬金術師が、担当上官の命令に逆らえずに戦場に出て行ったのか知っているからだ。そして、彼らの末路も。

「俺の許可がなければ国家錬金術師は動かせない。それは鉄則だ。そうだろう? 国家錬金術師は軍人が動かすものじゃなく、あくまで機関の管轄下にある。その上に立つのは大総統閣下ただ一人だ」
「しかし、それではケスラー少将が納得されないでしょう」
「いいんだよ、代わりに派遣されるのは俺と補佐官なんだから」
「えっ!?」

 さらりと言われた言葉に、思わず三人は絶句した。

「准将が……我々の代わりに戦場へ?」
「ああ、閣下からの命令も受けた。俺達の方が適任だ。場数も踏んでるし、何より軍人だからな」
「しかしっ!」
「あー、言い方が悪かったか。俺が自分で希望したんだよ。俺はアンタ達を戦場にやるつもりなんてない。アンタ達だけじゃない、軍務に就いてない国家錬金術師を戦場に送るつもりなんてないんだ」

 言って、エドワードは柔らかい笑みを浮かべた。それは誰にも譲れない信念だ。たとえ上層部から何を言われようと、その為なら自分が戦場に立つことさえ厭わない。

「だから気にしないでくれ。アンタ達が研究に専念出来るよう取り計らうのが俺の仕事なんだから」
「しかしそれでは……」
「俺は、イシュヴァールに投入された国家錬金術師達の末路を知ってる。彼らの大半が戻って来なかったことも。だからこれは俺の我侭なんだ」

 そう、結局はエドワードの自己満足の為なのだ。二度とそんな目には遭わせたくない、そう願うが故の。
 暫く三人は何事か考え込んでいるようだった。ここで引いてしまえば錬金術師の大原則である等価交換の原則に反することになるのではないか、そう考えているのだろう。
 やがて透徹の錬金術師オスカー・リベラが顔を上げた。

「准将はケスラー少将の下につくことになるのですか?」
「ああ、あの親父が指揮官だからな、一応」
「その少将のことなのですが……」

 僅かに言い淀んでから、彼は次いで爆弾発言をした。

「我々の年間研究費の三分の一が少将に奪われていることはご存知でしょうか?」
「……いや、初耳だ。アルフォンス、聞いたことがあるか?」
「いえ、僕も知りません」
「それだけではないのです。今回の内乱が長引いているのも、少将が武器商人から多額の賄賂を受け取っているからです」
「……それは、確かか?」

 思いがけない内部告発に、エドワードの眉が若干吊り上がった。それが事実だとすれば目を瞑るわけにはいかない。

「確かに、内乱が長引けばそれだけ武器も弾薬も必要になる。それを見越して、か」
「はい。しかも国家錬金術師を投入しても片がつかなければそれだけ、長引いている理由になります」
「……なるほどな」

 それは盲点だった。人間兵器という国家錬金術師の異名を知っていたからこそ、手っ取り早く内乱を終結させる手段として呼び寄せたと思っていたのだが、事実は全く逆だったとは。
 国家錬金術師を投入してもどうにもならない内乱を演出しようとは。

「判った、情報感謝する。早急に事実確認を行い、閣下に裁可を仰ごう。アンタ達は今まで通り、研究を続けるといい。この件に関して罪に問われることはないから」
「ありがとうございます、本当に……」

 その後、和やかなお茶会が終わって三人が退出すると、エドワードは厳しい目をアルフォンスに向けた。

「アル、ヒューズ中佐に連絡を取ってくれ。あの人の協力が要る」
「判った。閣下にはまだ知らせなくていいの?」
「ある程度情報が出揃ってから俺から言う。南部に向かうのは別に今日明日ってわけでもないしな」
「じゃあそれまでに情報集めないとね」
「ああ」

 戦いは水面下で既に始まっている。内乱の早期解決に向けた、これが始まりだった。



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