新たな旅立ち
 旅立ちはここ、この場所からだった。
 だから一度ここで終わらせ、もう一度ここから始めよう。






 セントラルからリゼンブールへ向かう途中、エドワードは東方司令部へと電話を入れた。長ったらしいコードを交換手に告げ、ホークアイへと繋げてもらう。

「ホークアイ中尉? 俺、エドワード。とりあえず定期連絡してみた。今からリゼンブールへ向かう。セントラルに行く時はまた連絡するよ」
『エドワード君? 丁度良かったわ。あなたに訊きたいことがあったんだけど……』

 言い淀むホークアイは珍しく、それだけで彼女が自分達のことを噂にでも聞いたのだろうとエドワードは察した。

「あー、俺達が軍に入ったってこと?」
『ええ、それもあるわ。……本当のことなのかしら? 大佐も気にしていらしたわ』
「どこまで聞いた? つっても大抵は本当のことだと思うけど」
『准将……ということと、国家錬金術師機関長に就任したこと、その一方で大総統府の幕僚に名を連ねること、アルフォンス君が『鎧』の二つ名を拝命したこと。今入っている情報はそれくらいかしら』

 淡々と紡がれる響きの良いアルトの声に、思わずエドワードは苦笑いを浮かべた。流石はホークアイだ。僅か三日でそこまで正確な情報を掴むとは。

「全部本当のことだよ、中尉。それで大佐の反応は?」

 そこでホークアイは言葉を選ぶかのように短い沈黙を落とした。恐らくは不用意なことを言ってエドワードを傷つけないようにとの配慮からだろう。

『そうかと仰ったきり、特には何も。ただ、この三日はサボっていないわ』

 余程ショックだったのだろうか。子飼いでしかなかった国家錬金術師が、後見人であるロイに一言の相談もなく勝手に軍に入ったことが。それとも、あっさりとその地位を引っ繰り返されたことが。

 ……けれど。

「大丈夫、心配すんなって。大佐はこんなトコで終わるようなヤツじゃないよ。少なくとも俺はそう信じてる」

 力強くエドワードは言い切った。そう、それは絶対の自信。出会う前のロイの姿など勿論エドワードが知る由もない。けれど信じている。自分自身よりも強く深く、ロイ・マスタングという一人の男を信じている。

『エドワード君……』
「俺はさ、大総統になるって言ったアイツの誓いをまだ覚えているから」

 あの焔の宿った漆黒の瞳を誰よりも近い場所で見ることを許されていたから。

「でもまぁ、おっさんも年だし期限はつけられたけど」
『期限? エドワード君が大佐を待つ期限ということ?』

 思ってもみなかったことを言われ、ホークアイは思わず訊き返してしまった。彼女からすればエドワードのロイに対する想いが有限であるとは考えられない。少なくとも、今は。
 では、何故?

「違う。期限をつけたのはあくまでも大総統。四年待てば等価だろって言われた。だから、四年待っても大佐の記憶が戻らなかったら、俺が後を継ぐ」
『四年……それがギリギリのラインなのね?』

 冷静に情勢を考えながら答えるホークアイ。大総統の地位は前職の指名によるものだ。しかしそれも規則では将軍位にある者からの選抜となっている。指名を確実なものにするためには、最低でも少将までは地位を上げねばならない。

「中尉、大佐を頼む。いずれ皆揃ってセントラルに呼ぶから」
『あら、准将の部下として?』
「その頃には一つか二つ地位を上げてるだろうけどね」

 軽く放たれたエドワードの言葉にホークアイは眉根を寄せた。それがどういう意味なのかわざわざ尋ねなくても判る。

『アルフォンス君も一緒に行くの?』
「ああ、アルは俺の副官だから」

 誓い通り戦場へも共に。同じ道を歩むと決めたのだから。

『……御武運をお祈り致します、エルリック准将』
「ありがとう、ホークアイ中尉」

 頷いて礼を言うとエドワードは受話器を置いた。きっとホークアイは電話口で敬礼していることだろう。彼女の迷いのない立ち姿が目に浮かぶようだ。
 同じようにロイを支える者として、ずっと彼女は憧れだった。彼女のようにロイに必要とされる者でありたかった。
 だから。

 賽は投げられた。後は後悔しないようただひたすら前に進むのみ。それは賢者の石を追っていた頃も今も変わらないエドワードの在り様だから。
 目を上げれば、柔らかい笑みを浮かべたアルフォンスが手を振っていた。






「中尉、誰と話してたんスか? 随分と楽しそうでしたけど」

 受話器を置いた途端、様子を窺っていたのだろう、ハボックがホークアイに声をかけた。相変わらず火の点いていない煙草を咥えている。他の面々もやはり興味津々という表情で、彼女の言葉を待っていることが判る。
 今はロイの近しい部下しかこの場におらず、多少のことを言っても他には漏れないだろう。
 小さく笑みを刻んでホークアイは言った。

「エドワード君よ。いえ、もう准将閣下とお呼びするべきかしらね」
「大将と? あー、じゃあやっぱりあの噂ってマジだったんスか?」
「ええ、そのようね。本人が肯定するんだから間違いないわ。……大佐にもしっかりして頂かないといけないわね」

 言った時、執務室の扉が開いてロイが姿を見せた。手にはサインの終わった書類を抱えている。素早く立ち上がったハボックがロイの手からそれを受け取った。

「私がどうかしたか?」
「……期限が設けられたそうです」
「期限?」

 怪訝そうな顔をしてロイが問い返すと、冷たい微笑を浮かべてホークアイは爆弾を投下した。誰にとっても寝耳に水のことを。

「四年のうちに大佐が記憶を取り戻さない限り、大総統の椅子は手に入らなくなるそうです」

 その台詞にロイは器用にも片眉を上げただけだったが、その代わりにハボックが盛大に反応した。

「んなっ? マジっスか!?」
「ええ、大総統閣下がそう仰ったそうよ」
「……まさか、次の大総統はエドワード君ですか?」

 ファルマンが口を挟む。ロイが大総統の地位を狙っていることは、彼の直属の部下であれば誰もが知っていることである。だからこその問いにホークアイは無言で頷いた。

「鋼の錬金術師エドワード・エルリック……准将、か。面白い、私の敵に回るというなら容赦はしなくてもいいということだな」
「ちょっ、大佐、いくら何でも敵って……」
「私より上を行くつもりがあるならば、要は敵だろう?」

 ハボックに対し凄絶な笑みを向け、ロイは言い放った。
 そこに厳しい突っ込みが入る。

「どちらかと言うと容赦してもらうのは大佐の方かもしれませんよ」
「ほう? 君は随分と彼を買っているようだね」
「当然です。エドワード君は大佐を越え得るかもしれない唯一の存在ですから」

 ホークアイの評価にロイの眉間の皺が深くなる。
 顔を会わせたのは短い時間だが、確かに彼が類稀なる知性の持ち主であることは判った。しかしそれと人の上に立つ資質とはまた別である。それすらもロイを凌駕する可能性があるということなのだろうか?

「敵に回る可能性はないと、つまり君はそう言いたいのかね?」
「はい」

 頷くホークアイに揺らぎは見えない。
 敵に回すとなれば厄介だが、味方にすればこれ以上の戦力はない。ホークアイは言って真っ直ぐロイを見返した。

「とりあえず大佐はいつセントラルに召還されても良いよう、仕事に励んで下さい」
「……了解した」

 小さく溜息をついて、再び執務室にロイは戻って行く。これが向かい風になるか追い風になるか、今の彼には判断出来なかった。






 緑の風が吹くリゼンブール。いつ訪れてもここの風は優しく兄弟を包み込む。
 トランクを一つずつ持ったエドワードとアルフォンスは、久し振りに訪れる故郷に思わず目を細めた。

「前に来たのはそんなに前じゃないはずなのに、何だか懐かしいね」
「ああ、そうだな」
「やっぱり五感で感じてるからなのかな。だとしたら嬉しいや」
「ああ、そうかもしれない」

 以前に機械鎧の定期チェックで戻って来た時、アルフォンスはまだ魂のみの鎧姿だった。耳は聞こえるし目も見えたけれど、やはり違う。

「こんな風が吹いてたんだね。忘れてたつもりはなかったけど……」

 故郷を忘れられるはずがない。けれど、刹那的な生き方をしていた二人には忘れていくものも気付かずに通りすぎたであろうものもあまりに多くて。多すぎて。
 こうして改めて、その大切さを感じたりする。

 二人が子供の頃からの付き合いである駅長に散々驚かれた後、二人はのんびりとロックベル家への道を歩いていた。何度も何度も、それこそ数え切れないくらいに歩いた道ではあるけれど、目に映る何もかもが鮮やかで。

「兄さん、やっぱりボク……戻れて良かった」
「ああ」

 感慨深げに呟いたアルフォンスに頷いて、エドワードは視線を高く掲げた。どこまでも広がるのは青い空。同じ空の下にきっと彼もいる。

 ロックベル家が見えてきた時、同時に誰かが駆け寄って来るのも見えた。
 飛んで来るのはスパナ。見事にそれがヒットして、呻き声を上げながら蹲るエドワード。

「エド! いきなり呼び戻してどういう……」

 どういうつもり!? と続くはずだったウィンリィの言葉は、エドワードの隣に立っていたアルフォンスに気付いたことで消え失せた。
 信じられないものを見たような顔をしてじっと彼を凝視する。
 照れ臭くなって、アルフォンスは彼女に笑顔を見せた。

「久し振り、と言っていいのかな? あの……ウィンリィ? ボクのこと、判る?」
「あ、当たり前じゃない! 戻ったのね!? 戻れたのね!?」
「うん、やっと。ごめんね、ボクが驚かせたいから言わないでって兄さんに頼んだんだ。……兄さん、大丈夫?」

 まだ頭を抱えていたエドワードに恐る恐る声をかけると、金の瞳に薄く涙を溜めながらもエドワードは立ち上がった。そしてウィンリィを睨む。

「いきなりスパナなんか投げるなよ! クソ、瘤になったじゃねーか」

 言いながらも浮かぶ笑みは酷く柔らかい。やっと取り戻した、幼なじみ三人の笑顔がそこには溢れていた。






「それで? アンタ達は帰って来たわけじゃないんだろう?」

 夕食が終わった後でピナコが言うと、エドワードは頷いた。

「ああ、俺達にはまだやりたいことがあるからな。言ったろ? 定期メンテナンスだって」
「でも、旅は終わったんでしょ? なのにどうして……」
「軍に残ることにしたんだ。どうしても借りを返したいヤツがいるから」
「アルは? アルも一緒なの?」
「うん。だって兄さんを一人にしておくと危なっかしいじゃない?」
「ア〜ル〜?」
「ホントのことでしょ? トラブルメーカーなんだし」

 グサッとくることを言われ、エドワードは絶句した。そりゃまぁ、少しは自覚もあったけれど、何もそこまではっきり言うことはないだろうに。

「兄さんってばこれでも准将閣下なんだよ?」
「エドが!?」

 閣下なんてガラじゃないのに、ウィンリィは笑い、そして判ったと頷いた。

「アタシは止めることはしないけど、ずっと応援してるから。いつだってここがアンタ達の故郷なんだからね」
「うん」
「ああ、覚えておく」

 柔らかな故郷の空気。
 いつでも変わらない暖かな人達。
 ここから旅を始めて、一度ここで終わったけれど。
 それはきっと新たな旅立ちの始まり。



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