その知らせを受け取ったのは、エドワードが飛び乗った列車がアルフォンスの待つ町に着く直前のことだった。ホークアイと名乗る女性から電話が入っているからと呼ばれ、アルフォンスは宿のフロントで受話器を受け取る。
「もしもし?」
『アルフォンス君? ホークアイです、突然ごめんなさい。エドワード君は? まだ戻っていないのかしら?』
「え? 兄さんですか? まだですけど……大佐に呼ばれたんじゃなかったんですか?」
怪訝そうな声。そうだ、早朝ロイ・マスタング大佐からエドワード宛に電話が入り、何だかんだ言いながらも始終落ち着かず、結局朝食後に彼は飛び出して行ったのだ。
二人の仲が良いのは随分前から判っていたが、ここ最近は特になかなかいい雰囲気である。恐らく想いを通わせたのではないかとアルフォンスは予想しているのだが。
『そう、まだ戻っていないのね……。アルフォンス君、エドワード君に伝言をお願いしてもいいかしら?』
窺うような気遣うような口調に、ホークアイの優しさが伝わって来てアルフォンスは嬉しくなった。力強く頷く。
「何を伝えればいいんですか?」
『急で悪いんだけどどうしても協力して欲しいことがあるの。二人揃って司令部に戻って来てくれる?』
「司令部にですか? 判りました、兄さんが戻ったら伝えますね」
『ありがとう、アルフォンス君。出来れば……早めにお願いね』
言い置いて電話は切れた。珍しいな……、アルフォンスは思う。とても判りにくいが、ホークアイに余裕がないように聞こえた。それだけの一大事が司令部に起こったということなのだろうか。
(何が起こったんだろう……)
ざわめく胸がとてつもなく怖くなった。
宿に着くなり出立の用意をすっかり整えていたアルフォンスに拉致られ、エドワードは再び列車に押し込められた。またイーストシティへと逆戻りである。何と忙しい一日なのだろう。
「おい、アル! 何なんだよ、いきなりっ!!」
「兄さん、狭いんだから暴れないで。さっきホークアイ中尉から電話があったんだ。兄さんと二人で司令部に来てって。どうしても何か手伝って欲しいことがあるんだって」
「――中尉が?」
ぴたりとエドワードは言葉を止めた。そしてふと考え込む。
ロイではなくホークアイからの呼び出し?
……何故?
今までホークアイから何度か連絡を受けたことはある。だがあくまでもそれはホークアイを通してのロイの呼び出しだった。今回のようにホークアイ単独の呼び出しなど受けたことがない。
「……アル、大佐からの伝言だとは言わなかったんだよな?」
「うん。……兄さん、どうしたの?」
「うん? 何が?」
「顔真っ青。大丈夫?」
指摘されて初めて、エドワードは自分の表情その他のことに気付いたらしい。難しい顔をして黙り込む。
(考えろ。何故中尉から連絡が来た?)
エドワードがロイと別れることになったのは、テロの情報がもたらされて彼が司令部に行くことになったからだ。あれからまだニ時間程度しか経っていない。恐らく彼らはまだ現場にすら辿り着いていないだろう。向かっている最中、てっきりそう思っていた。
けれど、ホークアイは現場ではなく司令部に二人を呼び出した。
(……何かあった)
それは確信。しかも高い確率でロイに何かがあった。だからこそエドワードが呼ばれた、そうではないのだろうか?
ギュッ、拳を握りエドワードは動き始めた車窓から流れる景色を見送る。だが瞳は景色を映してはいても、その情報は脳にまで伝わってはいなかった。
不意に、最悪の状態が脳裏によぎった。降りしきる雨の中、地面に倒れ伏す青い軍服を着た人。胸の辺りから広がる血溜まりが、水と混じって大きく広がる。
過去に、見た鮮血のイメージがそれと重なりフラッシュバックする。
『お母さんは上手に造ってくれなかったのね……』
血に塗れて痛々しく嗤う母トリシャの顔が浮かんでは消えた。
消せない罪。拭い去ることの出来ない咎。贖罪すらまだ果たすことは出来ない。
堪らずにエドワードは大きな金の瞳を閉じた。もしも、想像した事態が起きていたならば……どうすれば良いのだろう? いや、それよりももっと想定出来ないことが起こっていたら?
(……情けないけど、正直怖い)
改めて失う恐怖を痛感する。今まで、想像もしなかった。いつかいなくなるなんて、考えたこともなかった。軍人である以上、起こって当然のことなのに。
震えることしか出来ない子供のように、エドワードは怯えていた。
また、失うのだろうか?
やはり罪を犯した子供が何かを望むことなど許されないのだろうか?
愛されたいと願うのは、大それたことなのだろうか?
「兄さん、きっと大丈夫だよ……」
見るに見かねてアルフォンスが声をかけるが、自分の思考にどっぷりと嵌り込んでいるエドワードは全く気付かない。
「兄さん……」
手を伸ばしてアルフォンスは優しくエドワードの背を撫でた。声もなく、言葉もなく。
ただそれでも、心からの励ましがどうか彼に伝わりますように。
テロが発生してから既に四時間以上が経過しているというのに、東方司令部の司令室付近は妙に静まり返っていた。いつもならばもっと殺気立って、慌しく軍人達が出入りしている筈である。
喩え主要メンバーが現場に向かっていたとしても、誰かしら残っているからだ。それが誰もいないとはとても考えられない。
コンコン、いつものようにノックしながらエドワードは司令室の扉を開けた。
「ちわー。中尉、いるー?」
「エドワード君!」
その瞬間、自分の椅子を蹴倒すような勢いでホークアイは立ち上がった。いつも冷静な彼女がここまで取り乱すとは、一体何があったというのだろう。
「中尉、落ち着いて。何があったんだ? テロはどうなってる?」
自分よりも更に取り乱した人物が目の前にいれば、逆に頭が冷えてしまうことが往々にしてある。例に漏れずエドワードの頭も瞬時に冷え、驚くほど冷静にホークアイに尋ねていた。
「……南分室でテロがあったのは知っているわね? 現場へ向かおうとしていた大佐の車が――爆破されたわ」
「爆――……破? 嘘……だろ? だって乗ってたのは大佐だけじゃなくて、他の人も一緒なんだろ? 皆は? 無事なのか?」
問い詰める口調で訊いてしまったのはあまりにロイが心配だったからで。
「……乗っていたのは大佐とブレダ少尉よ。二人ともまだ意識は戻らないけれど、恐らく命に別状はないだろうというのが医師の見解よ。それで、あなた達を呼んだ理由なんだけれど……」
その言葉に、エドワードは素のままの表情で顔を上げた。
多大なる罪悪感を抱きながら、ホークアイは口を開く。
(ごめんなさい、でもどうか私達に力を貸して……)
そんな言葉で内心を埋め尽くしながら。
「意識を失う前に大佐が仰ったの、たった一言。『鋼を呼べ』とね。恐らくはあなたに後のことを任せる、という意味だと思うわ」
「俺に!?」
「そう、エドワード・エルリック中佐相当官殿、ここにいる人間の中ではあなたが最高位です。どうか、指示を下さい。私では、どうすることも出来ない」
中尉程度の権限では、ロイの代わりに現場を仕切ることなど出来ない。しかもロイはエドワードを代理に指名したのだ。
それはエドワードを『鋼』と銘で呼んだことからも明らかである。プライベートであるなら、きっと彼は『エドワードを呼んでくれ』と言っただろう。
しばらく、エドワードは無言で考えているようだった。周囲にいるいつもの面々がその答えを固唾を飲んで待つ。
やがて再び顔を上げたエドワードの瞳には、確固たる黄金の焔が宿っていた。見る者を虜にする、魔性とも言うべき光が。
「中尉、軍服を用意してくれ。新しい階級章が付いたものが支給されてるんだろう? ハボック少尉は現場の資料を用意してくれ。向かいながら検討する」
「Yes,sir!」
上官の顔になって命令を下したエドワードの言葉に反する者などここにはいない。誰もが、この十五歳の少年を信頼しているのだから。
そこで振り向いてエドワードはアルフォンスを見上げた。
「お前はここで待っててくれ。連れて行くことは出来ない」
「兄さん……」
「頼む」
深々と頭を下げる。そこまでされては、幾らアルフォンスとはいえ異を唱えることなど出来なかった。エドワードは決意してしまった。軍人として、戦場に立つことを。
「判った、僕はここで待ってる。でも、絶対に無事に戻って来てね」
「ああ、約束だ」
頷く、その瞳に最早迷いなどなかった。
弱さの欠片も、見つけることなど出来なかった。
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