一人歩く道
 きっとこれはいつか来た道。






 さっきまで二人で手を繋いで歩いていた大通りを、今はエドワード一人が歩く。多分に捨てられた猫のような取り残された子供のような、そんな寂しげな顔をしているだろうことは彼自身自覚していた。仕事だろうとデートを切り上げロイを追い立てたのはエドワードだ。あの時は、感情はどうあれそうするのが最善だと思った。……否、思っていた。

 エドワードに譲れない願いが在るように、ロイにも譲れない誓いが在る。
 それは互いの存在を理由にしたところで諦められるものではないし、互いに捨てさせるつもりもない。
 ……ない、のだけれど。

 駅に向かっていた足を止め、俄かに雲の増えた空をエドワードは見上げた。今にも……厚みを増したそれから涙に似た雫が落ちて来そうで。

「雨……降って来たらアイツ無能になるんだけどな……」

 ただ雨が降りそうだというそれだけですらロイを連想させる。本当はそんな心配など無用だと判っているのだ。今や数多いる錬金術師の中でも他の追随を許さない強大な力の持ち主。恐らくは最強の国家錬金術師で、つまりは並ぶ者がない人間兵器で。

「……遠い、よな」

 ポツリ呟く声に力はなかった。別に、エドワードが自らを卑下しているわけではない。自らの力量を正しく評価しているからこそ、ロイまでの距離を測ることができるのだ。同じ男としても国家錬金術師としても彼は遥かに遠い。

 十四の年齢差をエドワードは言い訳になどしたくなかった。子供だとは認めている。口ではどう言っても、それはエドワードが一番自覚していた。特にロイと一緒にいれば、それは何度も思い知らされることになる。
 時折、子供のような顔をして笑う男。そんな仕草ですら彼を損なうものではない。どんな時でも彼は一人前の、大人の男だからだ。

 余裕のない顔、など思えば見たことなどないような気がする。彼はいつもエドワードの目から見れば完璧で。喩えホークアイ辺りに無能と呼ばれていたって、彼がそれに苦笑を浮かべながらも甘んじているのを知っているから。
 そうすることで、少しだけ上下の距離感を近づけてみることで、司令部の空気を暖かいものに変えているのを知っているから。

 キュッと拳を握り、何かを堪えるように目を瞑るとエドワードは再び歩き始めた。脇目もふらず、まるで競歩のようなスピードで駅に駆け込む。
 これ以上考えてはいけない。まるでそれは自分に言い聞かせてでもいるかのように、エドワードの胸に重く響いた。

 タイミング良くホームで時間調整をしていた列車に飛び乗る。隣の駅までの短い距離、その間に心の整理を終わらせなければならない。向こうに着いたら待っているのは弟のアルフォンスだ。
 そして……もう一つ。長かった旅の最終目標である人体錬成の錬成陣。
 元々ロイに呼び出されなければ、すぐにでも決行するつもりでいたのだから準備は完璧だ。やっと長年の夢が叶う。

「ってのにな……」

 どうしてこんなに不安なんだろう、理由も判らず痛む胸を、エドワードはそっと押さえた。何かが警告しているとでも言うのか? このまま……何も起こらずに済む筈がないと?

「あーもう、やめやめ!」

 考えても仕方がないことだ。錬成に不安要素は多々ある。けれど、それを潰す為の旅だった。方法を模索し、やっとそれに辿り着いたのだ。今更迷っていたって仕方がない。

「すぐに終わらせて、威張ってイーストに帰ってやる!」

 頭を切り替えて、エドワードは深く座席に凭れながら目を閉じた。もう、何も考えたくないと言わんばかりに。



「今頃鋼のは駅に着いた頃だろうか……」

 慌しく自宅で軍服に着替え、着いた執務室でロイは盛大な溜息を漏らした。テロさえなければエドワードと楽しいデートの真っ最中だったのだ。あわよくばそのまま家に連れ帰って……という計画を立てていたのに、結局何もかもが潰れてしまった。
 テロ行為が管轄区で起こったのだから、個人的な事情は何もかも後回しにしなければならないことは理解している。東方司令部司令官としての、それが在るべき姿だ。
 けれど。理性というものは往々にして感情ではコントロールできないもので。

「大佐、溜息が多すぎます。それでは士気に関わりますから控えて下さい」

 ホークアイから鋭い指摘が飛んでも、ロイのへたれっぷりは治らなかった。
 大体、無理もないのだ。ここを逃してしまえば、次にいつ会えるのか判らない恋人である。しかもこの騒動を収める為に、これから暫くは司令部に缶詰になるだろう。ロイの個人的な時間が取れる日など、いつになるのか見当もつかない。

「鋼のは……怒っていないだろうか……」

 無理矢理呼び戻したにもかかわらず、すぐさま仕事で潰れたデート。これに怒らない恋人などなかなかいるものではない。幾らエドワードが他の女性達よりも仕事について理解があるとはいえ、初めてのデートがこれでは怒る以前に呆れられても仕方がない。

「エドワード君なら判ってくれているとは思いますが。それに彼ならばきっと、怒るとか呆れるとかいう以前に、ただ寂しく思っているかもしれませんよ」
「…………!!」

 その言葉に、急にロイの背がシャキッと伸びた。そしてテロリスト達の資料を持ってくるようホークアイに指示を出す。
 そうだ、今は凹んでいる場合ではない。今回がダメならまた次に、同じことを繰り返さなければいいのだ。さっさとこの事件を片付けて、エドワードとの時間を過ごせばいいのだ。そう、それだけのことだ。

「どこの馬の骨か知らないが、人の恋路を邪魔するとどうなるのか教えてやろう……」

 ふふふふ……、笑い出したロイを、心理的には遠巻きにしてホークアイは眺めていた。
 今はもう、何を言っても無駄だと悟っただけなのかもしれなかった。



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