未来予想図
 思いの箍はとうに外れ、今はただ溢れ出るばかり。
 本当はこんなことなど考えている場合ではないというのに。






 静寂を破ったのは、些か強い調子で響いたノックの音だった。入りたまえ、ロイが応じるとすぐに扉が開かれ緊張した面持ちのホークアイが顔を出す。

「大佐、中央から来客です」
「来客? 誰だ?」
「大総統閣下です」
「……大総統?」

 途端に軍人の顔に戻り、ロイはソファから立ち上がった。大総統の視察など聞いてはいない。何の予告もなしに彼が東部を訪れるなど、一体何があったというのか。

「用件は?」
「それが何も。査察かと思われますが……」
「あ、それって違うと思う」

 横から口を挟んだのはエドワードだった。思わずロイもホークアイも彼を怪訝そうな眼差しで見つめてしまう。

「あのおっさん、この前セントラルで会った時、俺の話を聞きたいとか我侭抜かしててさ。その時は忙しいからって断ったら、じゃあ今度東部に戻ったら会おうってことになったんだ」
「……おっさん? それはまさか閣下のことかね?」

 まさかとは思ったが、恐る恐るロイは聞き返した。確かにエドワードは顔が広いし、上層部の受けもロイほど悪くはない。むしろ上層部には彼のシンパが多いのが現状だ。だがそれにしても……。

「他に誰がいるんだよ? 何か矢鱈と気に入られてるらしくてさ。養子にならないかって言われたこともあった。蹴ったけど」

 大総統にしてみれば、破格の好意の示し方である。ロイの知る大総統キング・ブラッドレイといえば、歴戦の武人で情け容赦のない人物だ。その彼とエドワードの話す大総統像が妙に一致しない気がするのは何故だろう?

「……念の為に訊くが、鋼の?」
「んだよ?」
「言い寄られているわけではないんだな?」

 ロイの言葉に、エドワードは全身が沸騰するのではないかと思うほど真っ赤になった。それは照れではなく、怒りで。

「馬鹿なこと言ってんな! 俺にそんなこと言うのはアンタくらいだ!」
「そうか、それを聞いて安心した」

 だが露骨にホッとしたような笑みを浮かべるロイに、エドワードも二の句が継げなくなる。ロイが何を心配しているのか判ってしまったから尚更に。

「……では閣下をこちらへお連れしても宜しいでしょうか?」

 会話が途切れたタイミングを狙いすましたように言ったホークアイに、ロイはぎこちなく頷いた。それを見届けてから彼女は退出する。

「……俺はアンタが好きだって言ったろ? ちゃんと信じてろよ」
「判っているのだがね。どうも君のことに関しては理性をコントロールする自信がない」
「らしくねぇな」
「全くだ」

 小さく笑い合った時、再びノックの音が響いた。それにエドワードも立ち上がり、ブラッドレイを迎える為に敬礼をする。その動作があまりにも美しかったので、ロイはエドワードがそれに慣れていることを知った。
 普段東方司令部に訪れる彼からは考えられない、軍人として当たり前の所作。ロイが見ていないところで、彼はどれほど軍の狗であることを強要されているのだろうか。静謐なエドワードの横顔からそれを窺い知ることはできない。

「急に訪ねて来て済まないな、マスタング大佐。それに、久し振りだね、エドワード君」
「ったく、来るなら来るで一報くらい入れてやれよな。皆すっげー慌ててたぞ」

 砕けた調子のエドワードに、だがブラッドレイは相好を崩すだけで咎めの言葉などなかった。二人にとってはいつの頃からかこれが当たり前のことなのである。無論、初めてそれを目にするロイとしては気が気でなかったが。

「たまたま君が東部に戻るという話を小耳に挟んでな。このところ急を要する案件もなかったことだし、気晴らしついでに来てみたというわけだ」
「……連絡を入れなかったのはアンタがまだサボって逃げ出して来たからだろ?」

 痛いところを突かれて、ブラッドレイは思わず苦笑いを浮かべた。それに関してはロイにも似たようなところがあるのであえてコメントは差し挟まない。と言うよりも、この場でまだロイは一言も喋ってはいないのだが。

「旅はどうだね? 探し物は順調かい?」
「んー、まぁまぁってとこかな。やっと光が見えて来たって感じ」

 急に話題が濃いものになったので、思わずロイは眉を寄せた。エルリック兄弟の探し物、それは賢者の石に他ならない。それをブラッドレイが知っているのかどうか。……この調子ではどうも知っている気配が濃厚だが。

「パルミナという町の噂は聞いたかね?」
「ああ、ここに来る前にいたところだ。町の南にある遺跡の話だろ?」
「ということはそこで得た情報が当たりだったということかな?」
「まぁね。これでやっと、目標が果たせる」
「そうか、遂に元の身体に戻れるのだな。アルフォンス君共々」

 その言葉に確信し、そして俄かに不安が広がるのをロイは感じた。エドワードが目指すもの、それは人体錬成だ。国家規約では禁忌とされているそれを、どうやらブラッドレイは黙認しているらしい。しかし、何の為に?
 何かの裏取引でもあったのではないだろうか?
 何の見返りもなくブラッドレイがそれを許すとは思えない。彼はそんな甘い男ではなかった筈だ。

 だがロイのそんな思いには気付くことなく、会話は和やかに進んでいく。小一時間ほどしてブラッドレイが退出した時、ロイは背中に大汗をかいていた。

「大佐? どうしたんだよ? 何かずっと変な顔してたけど」
「……君は……閣下にどこまで話しているんだ?」
「どこまでって……全部?」

 目の前が真っ暗になる、というのはまさにこんな時なのだろうか。小さく溜息をついて、ロイはソファに沈み込んだ。隣に腰掛けたエドワードが心配そうな目でロイを覗き込んでくる。

「あー、そっか。大佐には話してなかったんだっけ? ごめん」
「どんな取引をした?」
「取引?」
「そうだ。あの閣下が何の見返りもなく君達の行動を黙認するとは思えない。何を要求された?」

 だがその言葉に、エドワードは首を横に振った。要求らしい要求など何もされてはいない。ただ孫のように甘やかされて、我侭を言って。

「あー、あれかな?」
「何だ?」
「甘えてくれって言われた。我侭を言いたいだけ言ってくれって」
「…………は?」

 そのとんでもない要求に、ロイはしばし開いた口が塞がらなかった。それが、等価交換の内容? それ以前に、等価になるのか?

「別に、軍に入れって言われたわけでも、何かに協力しろって言われたわけでもないし。やっぱりそれくらいかなぁ、おっさんから言われたことって」
「鋼の……」

 やはりエドワードはあの隻眼の男にこれ以上はないほど愛されているらしい。無論それはロイのような意味合いではなく、純粋に祖父が孫を猫可愛がりするようなものではあるのだろうけれど。
 それでも脱力するのは仕方がないだろう。

「大佐が心配するようなことはないと思うぜ? 錬成にしてもさ、おっさんが認めてくれてるってことは軍部公認ってことだろ?」
「それはまぁ……そうかもしれないが」

 どうやらエドワードは天動説の申し子であるらしい。無条件に愛されることを知っている子供、というところか。しかも本人は意識することなくだ。
 そこまで皆に可愛がられていることなど、エドワード本人は露ほども気付いていないに違いない。
 それはそれで、別の意味で心配になるのだが。

 この先どんどん美しくなっていくであろうエドワードを見つめ、ロイは溜息を止められなかった。

「ああ、それから鋼の?」
「ん?」
「君は……他の司令部に顔を出す時はどんな態度で?」
「はぁ?」
「いや、あまりにも敬礼に慣れているようだったからね」

 先ほどの所作を思い出しながらロイが問うと、露骨にエドワードは眉を顰めた。それくらい気付けよと言わんばかりに。

「アンタのいないところで俺がアンタの悪評を流すわけにはいかないだろ?」

 ぶすくれたように呟く。エドワードを前線に立たせない為に、ロイが要らぬ火の粉を浴びていることくらいは先刻承知だ。国中でエドワードの名が高まれば、必然的に彼を擁護するロイの敵も増える。
 だからこそ、東部以外でエドワードは気を抜くことなどできなかった。特に軍司令部では尚更だ。後見人であるロイの名を汚さないこと、それが国家錬金術師になって旅立つ時に決めたことだったから。

「……鋼の……」
「俺にだって、アンタを守る力くらいはあるんだよ」

 庇護されるだけではなく、その背中を守れるだけの力が。今はまだ幼いかもしれない。子供かもしれない。けれど、子供は子供なりに色々考えているのだ。どうすればもっと彼の役に立てるのか。どうすればもっと彼に近づけるのか。
 どうすれば彼の横に並び立てるほどの存在になれるのか。

 三年前、旅に出た時に考えていた未来のビジョンは曖昧だった。けれど、今は違う。元の身体に戻ったら。目的を果たしたら。その時、やりたいことがある。新しく始めたいことがある。
 今はまだ、アルフォンスにさえも言えないけれど。

「……まだ子供だと思っていたんだがな」
「子供は大人の知らないところで成長するものなんだよ、大佐」
「ああ、どうやらそうらしい」

 参った、呟いてロイは右手で顔を覆った。まさかエドワードがロイの為を思って行動していてくれたとは露ほどにも気付かなかった。不覚と言ってもいい。そして。
 それが彼にどれほど想われているかの証のような気さえして。

「君が元に戻ったら、聞いて欲しい願いがある。許してくれるか?」

 乞うように問えば、エドワードは不敵な表情を浮かべて笑った。

「アンタの願いなら、どんなことでも叶えてやるよ」

 彼が炎を灯してくれた遠い日からずっと、そう決めていたのだから。



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