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零れ落ちる吐息
 列車の中で小さな黒板を手にしたアルフォンスは、時折思い出したようにそれに正の字を書いていた。それは消されることはなく、着実に今現在も増え続けている。
 だが向かいの席に座って窓の外をぼんやりと眺めているエドワードは、弟のそんな様子に気付かないらしい。黙っていれば綺麗と評される白皙の顔を僅かに顰め、流れる景色を見るでもなく金色の瞳に映しているだけだ。
 いい加減その鬱陶しい姿に堪えきれなくなったアルフォンスは、少しきつめの口調で兄に向かって言った。

「兄さん、いい加減にその溜息止めてよ。僕まで気分が滅入っちゃうじゃない」
「……溜息?」
「気付いてなかったわけ? 今朝からもう三十二回。どうせ大佐絡みなんでしょ?」

 率直に指摘すると、エドワードは見る間に真っ赤になった。そしてワタワタと誤魔化すかのように手を振る。

「い、いや、そんなことはないぞ!」
「そんな思いっきり否定しなくてもいいじゃない。知ってたよ、僕。大佐が兄さんのこと好きなの」
「うえっ!?」

 奇声を上げ、エドワードはアルフォンスを見つめた。ロイに告白されるまでエドワードが露ほども気付かなかった彼の想いに、エドワードよりも早くアルフォンスの方が気付いていたというのなら。
 確かにエドワードは鈍いのかもしれない。

「それで? 告白されてOKしたんでしょ? どうして溜息なんてついてるのさ?」
「OKなんてしてない! ただちょっと、場の雰囲気に流されただけって言うか、アイツが強引すぎるって言うか……」
「兄さん、それ結構酷いよ?」

 流石にロイが哀れになり、アルフォンスは兄を窘める。ロイの方はもうすっかりと恋人気分で背後に花まで飛ばしているというのに、流石にそれはないだろう。あまりにもロイが可哀想だ。

「んなこと言ったって仕方ないだろ!? 俺はそんな経験なんて全然ないんだから!」
「あー、はいはい。そうだよね。兄さんってば意外に奥手だもんね」

 好意以上の視線を向けられたところで、エドワードは全く気付かない。直接的な行動にでも出られない限り、エドワードが相手をそんな対象として見ることはないだろう。つまりこのとんでもなく鈍い兄に対しては、言った者勝ちの状態だった。
 だからこそ何も言わずにじっとエドワードを見ているだけだったロイに、アルフォンスも多少焦れてはいたのだが。

 その彼が確固たる決意をもって行動を起こした以上、エドワードがロイに落ちるのは最早時間の問題としか思えなくて。

「でも大佐のこと嫌いじゃないんでしょ?」
「うー、それは、まぁ……って、誤解するなよ! 俺はアイツのことこれっぽっちも恋人だなんて認めちゃいないんだからな!」

 これっぽっちも、言ったエドワードの指先が作る輪は僅かな隙間もなかった。

(大佐ってばホントに報われないなぁ……)

 思わずアルフォンスが遠くを眺めてそんなことを思ったとしても、無理もないだろう。むしろエドワードのこんな反応くらい彼にはお見通しだったのかもしれないが。

「とにかく! 暫くは東部になんか帰らないからな!」

 高々と宣言したエドワードに、今度はアルフォンスの方が深い溜息をついた。






 一方そんなエドワードの叫びなど露ほども知らない東方司令部の主は、それから半年経ったこの日も意気揚々と書類の処理に励んでいた。背後には相変わらず花が散っている。
 珍しい上機嫌のロイに、だが部下達は何一つ突っ込むことなく己の業務に没頭していた。何故ならば口を開けば惚気しか出て来ないのだから、そんなものの集中砲火を浴びるなど真っ平である。
 どうやらロイは、確かにヒューズの親友であるらしい。

 口を開けばエドワードのことしか語らない。そのくせ、彼を自分の手元に置いておくつもりは今のところないらしい。小鳥に鎖をつけるなど野暮なことはしたくない、エドワードの旅立ちの日にロイが言っていたことはどうやら真実だったようだ。

 確かにエドワードは賢者の石を求めて方々を旅している。それをロイの我侭で引き止めることなどできないのかもしれない。彼に焔を灯したことを自覚しているのならば尚更に。

「しかし、今回は長いですね。もう半年近く彼らの姿を見ませんが」

 休憩時間にホークアイはそう言って、直属の上司の反応を伺った。暗に避けられているのではないですか、という意味も込めて。
 だがロイは愚問とばかりに笑い飛ばす。

「鋼のはあれでいて恥ずかしがり屋だからな。きっと自分の中で整理する時間が必要なのだろう」
「……それにしても半年は長くないですか?」
「そうでもないだろう。彼らが今いるのは西部の国境近くで、かなり辺鄙な村らしい。連絡手段すらないほどのな。……早く彼らが目的のものを見つけてくれるといいのだが」

 それは、懇願に等しい響きを持っていた。ロイにもエドワードにも、譲れぬ願いがある。だからロイは未だにエドワードを全てに優先することなどできない。それはエドワードも同じことで。
 判っていながらそれでも彼に想いを告げてしまったのは、ひとえにエドワードを誰にも奪われたくないという醜い独占欲からだ。年々綺麗になっていくエドワードを見ているうちに、ロイの中に不安が芽生えたからだ。

「それにだね、言いたくなかったのだよ」
「……エドワード君に見栄を張っても仕方がないと思いますが?」
「相変わらずはっきりと言うね、中尉」
「事実ですから」

 淡々と言われて、ロイは思わず右手で両目を覆った。
 できることならば、彼に対しては鷹揚な大人でありたいと思っている。少なくとも彼の前ではそうでありたいと。彼が弱音を吐ける場所を、自分の腕の中に作りたいと。
 だがロイは知らない。エドワードにとってはそれが何の意味もないことなど。対等でありたいと強く願う彼は、むしろロイに弱音を吐いて欲しいと思っていることを。

(結局似た者同士ってことなのかしら……)

 ロイとエドワード、どちらも意地っ張りで、そして結局互いのことを強く想っているのだから。喩え当人同士がそれに気付いていなくても。

「大佐、休憩時間は終了です。片付けて頂きたい書類はまだあるのですから」
「やれやれ、判ったよ。このままでは鋼のに会う前に過労死しそうだ」
「でしたら無闇に敵を作る真似は止めて頂きたいものですね」

 ロイの暢気な言葉に、ホークアイもまた溜息をついたのだった。



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