エルリック兄弟が東方司令部に戻って来ると連絡があったその瞬間から、軍人達の動きが見事に変わる。いつもはのらりくらりと仕事をサボるロイですら、書類の処理速度は五倍速だ。
いつもこうだったらいいのに、思いながら上司を見ていたホークアイは、ふと執務机に置かれた花束の存在に気が付いた。随分と愛らしい花である。赤やピンク、白など色合いは様々だが、見ればどれも同じ花のようだ。
(誰かに貰ったのかしら?)
思ったが、このところ仕事が立て込んでいた為ロイは司令部に泊まり込んでいた筈である。プレゼントを受け取ることができる筈もない。
まぁ女性に大人気のロイだ。わざわざ司令部まで花束を届に来る女性というのも考えられなくはないが、ここ数年プレゼントの一切をにこやかな、それでいて有無を言わせない笑顔で断り続けていた彼のことだからそういうものでもないだろう。
「……大佐、その花束はどうされたのですか?」
「ああ、これかね? 鋼のが来るというのでねハボックに買って来させた」
「随分と可愛らしい花ですが」
「そうだろう? 受け取ってくれるといいんだが」
それはなかなか難しい注文かもしれない、思ったがホークアイは何も言わずに処理済の書類を受け取ると司令室へと引き返した。そこでハボックを捕まえ、話を聞き出すことにする。
「少尉、大佐から頼まれた花束はあなたが?」
「そうっス。なんでも、ペンステモンって名前らしいっスよ」
「ペンステモン……」
耳に馴染みのない花だった。ロイが花を女性に贈るのは珍しいことではないが、今回はどうも他に意味がありそうで。
辺りを見回すと都合良くファルマンの姿があった。きっと彼ならば知っているだろう。
「ファルマン准尉、ペンステモンという花を知っているかしら?」
「ペンステモンですか。別名を姫釣鐘柳、高温多湿の場所に咲く多年草ですな」
「大佐がどうしても大将に渡すんだって言って、俺がさっき買ってこさせられたんだよ」
「ほう……」
記憶を探るようにファルマンは細い瞳を閉じ、次いで肩を震わせて笑い出した。それがあまりにも思いがけないことだった為、唖然として二人は彼を見つめてしまう。一体何がそんなに面白かったのだろう。
「とうとう大佐も仕掛ける気になったんですかな」
「どういうことだよ?」
「花言葉は『あなたに見惚れています』ですから」
一瞬、場がこれでもかというほど静まり返った。どうやら司令室にいた他の面々も彼らの話を聞いていたらしい。長いようで短いような沈黙の後、誰かがぷっと吹き出したのを皮切りに部屋は爆笑に包まれた。ホークアイですら涙を浮かべて口元を押さえている。
「普通の告白より強烈だな、それは」
「え、ええ……。でも相手はエドワード君よ? 花言葉なんかで通じるかしら?」
「あ、そうか。大将ですからねぇ……」
錬金術にしか興味がない彼が、花言葉などというものを知っているとは流石に考えられなかった。しかし直接花言葉を教えてしまっては、ロイの手の込んだ告白もどきが台無しである。
「……花言葉を考えろって言えばいいんじゃないスか?」
「そうね、それしかないわね」
しかしそれを知った時の彼の反応を考えると、それはそれで怖いものがあったのだが。
カッカッカッ、バターン!!
いつも通り乱暴に執務室の扉を開き、エドワードは中に入って来た。後ろにはアルフォンスを従えている。気が抜けるくらいいつもの光景だ。
「よう、大佐。今日は仕事溜めてないみたいだな」
「いつもいつもサボっているわけではないよ」
これも、いつも通りの応酬。寄ると触ると憎まれ口を叩くのは、エドワードにとって挨拶の一つだ。その視線が僅かに下へ動き、花束で止まった。
「またプレゼント貰ったのか? モテる男は大変だな」
「ああ、これかい? 君にだよ、鋼の」
「……はっ? 俺に?」
ロイがエドワードに花束を贈る、これほど奇妙なシチュエーションもないだろう。しかも、使われている花は……。
「ペンステモン……」
「おや、意外だ。君も花の名前を知っていたのだね」
「うるせーな。たまたまだよ、たまたま。これは……」
そこまで言って、エドワードは黙り込んでしまった。それっきり、俯いてしまう。だがせっかく用意したのだ。ここは受け取ってもらいたい。
ロイは花束を取り上げると、強引にエドワードの手にそれを握らせた。こうして見ると彼の白い肌にそれはよく映えている。
「一応、貰っておく。ありがとな」
言って、エドワードはバタバタと駆け去ってしまった。残されたのはロイとアルフォンスの二人だけ。
「あの、大佐? 誤解しないで下さいね? 兄さん、嬉しくなかったんじゃないと思いますから」
「しかしあの様子は……」
「ちょっと思い出しちゃったんだと思います。あの花は父さんが母さんにプロポーズする時に贈った花だって聞かされてますから、僕達」
「……そうか、君達の母親のことを思い出したのか……」
他の花にすれば良かったのかもしれない、思ったが、ロイの想いを一番的確に託せるものが他になかったのだから仕方がない。まぁプロポーズの時に花束を贈るのはよくあることではあるが。
「念の為に聞くが、その時母上はどうしたのだね?」
「エキザカムの花を父さんに渡したらしいですよ?」
ちなみに花言葉は『あなたを愛します』だ。その花をロイが貰える確率は限りなく低い。いや、まず貰えないだろう。
「まぁ兄さんもその時のこと思い出したくらいだから、返事は花になるんでしょうけど。どんなもの選ぶ気ですかね?」
……どうやらアルフォンスは突込みどころが人とは違うようだ。普通この場合、ロイが
エドワードにその花を贈ったこと自体を突っ込むのではないだろうか? だが尋ねると、アルフォンスはあっさりと言ってのけた。
「だって大佐、兄さんのこと好きでしょう? 知ってましたよ、それくらい」
「アルフォンス?」
「兄さんだって多少は気にしてると思いますよ、大佐のこと」
「しかしかなり動揺していたが」
「動揺するからですよ。何とも思ってない人に花束なんか貰っても、兄さんは笑顔でお礼を言ってそれっきりですから」
それは暗に、エドワードがよく花束を貰うという意味なのだろうか。思考が暗い方へ行きかけたが、アルフォンスがここまで言うのだから心配することはないだろう。
結局ロイは安心して返事を待つことにした。
一方司令部を飛び出したエドワードは、イーストシティの大通りをふらふらと歩いていた。手にはしっかり花束を握ったままで。返事をしなければならない、それくらいは判っている。ロイから受け取ったペンステモンの花言葉は何度も聞かされているから知っていた。だが、本当に知っている花言葉など多くはないのだ。
どんな花を選べば今の自分を表現する想いを伝えられるのか、エドワードには皆目判らない。だが、花言葉を調べる為だけに図書館へ行くのも、それはそれでムカつくのだ。
結局餅は餅屋とばかりに、エドワードは手近にあった花屋に駆け込んだ。
「いらっしゃいませ!」
明るい声に怯みそうになるが、ここで逃げては意味がない。目的を果たさなければ、司令部で待っているであろうアルフォンスも迎えに行けないし、何よりロイに報告を済ませることすらできない。
要するに司令部に戻るには、手土産に花がいる。
「えっと……聞きたいことがあるんだけど……」
「何かしら? あら、その花はどうしたの? 貰い物?」
「あ、うん。それで返事をしたいんだけど、俺、花には詳しくなくて……」
まだ夏の名残の日差しが辺りを照らし出している。その中でエドワードの金の髪がキラキラと、極上の金糸のように輝く。子供だということを差っぴいても、十分に鑑賞に耐える姿だ。
「どんな返事をしたいの? それによって選ぶ花も変わってくると思うけど」
「え? それは……、まだ判らない、みたいなヤツってない?」
「そうねぇ……。それだったらこの花なんてどう?」
店員が指差したのは、水桶に浮いている花だった。色は淡い紫で、一番上の花弁に濃い紫の筋と黄色い斑点が一つ入っている。
「これ、何て花?」
「ホテイアオイよ。綺麗でしょう? 水の上に咲くからなんだろうけど、花言葉は『揺れる想い』っていうの」
「……揺れる想い……」
それはあながち間違いではない。もやもやとした、色も形も判らないものがエドワードの心の中で浮き沈みしている。そう言い替えても構わないだろう。
「そうだな、じゃあそれにする。けど、それって花束にはできない形だよな?」
「そうねぇ……。瓶か何かに入れて行ったらどうかしら?」
「うん、そうする。ちょっと待ってて」
言い置いて、エドワードは花屋を出るとすぐ横の小道に入った。普通の瓶を使うのは、何だか勿体無いような気がして。ロイに渡すには相応しくないような気がして。
パンッと両手を合わせるとぺたりと地面に置く。瞬間、青い錬成光が走り、鉢植えよりも僅かに小ぶりの瓶が出来上がった。側面にはエドワードが掲げるフラメルの紋章。
それを持って先ほどの花屋に戻り、水を入れてから花を浮かべてもらう。
料金を払ってから、頑張ってねという声援を背に司令部への道を逆戻りし始めた。
そういうことで、ロイの執務机の上には瓶に入った花が一輪。今日も風にゆらゆらと揺れている。
エキザカムの花は貰えなかったけれど、これはこれでロイの笑みを深めることになったらしい。
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