始まりの合図
 朝からこの状況というのは、目の前でやけに暢気な寝顔を見せている食えない男の冗談か何かなのだろうか?

 起き抜けでまだ幾分か活動の低下した脳で、ぼんやりとエドワードは自分の置かれている現状を理解しようと努めていた。
 見慣れない天井に、ここがリゼンブールではなくセントラルなのだと思い出す。そうだ、昨日の夕方に試験を受ける為にこの街まで来たのだ。
 窓から射し込む光に朝なんだと理解する。鳥の鳴き声も聞こえているから、どうやら外は清々しく晴れているらしい。
 それはいいのだ。晴れているに越したことはない。天気が悪いと機械鎧の接合部が痛むし、何よりもせっかく試験を受けるのだ、雨よりも晴天の方が気分もいいというものだろう。

 が。何故同じベッドに、しかも腕にエドワードを抱き込むようにしてこの男が眠っているのか、その理由がさっぱり判らない。
 東方司令部の実質的な司令官にして焔の国家錬金術師、ロイ・マスタング大佐。
 エドワードをこの茨の道に誘った張本人はふてぶてしいいつもの笑みを消し去り、いっそあどけないほどの寝顔を惜しげもなく晒している。

(……ちょっと無防備すぎるんじゃないの?)

 思ったが、口に出すことは憚られた。一年会わなかった間に中佐だった男は大佐になり、それに比例して肩に乗せられた責任というものも重くなっているのではないかと思う。
 エドワードの試験に付き合う暇など、本当はないに違いない。その証拠に付き添いで来ているホークアイが山のような書類を宿まで運ばせていた。

(……アンタ、一体何がしたいわけ?)

 軍の狗になる覚悟は再会した時に伝えた。目的を果たす為なら、アルフォンスに贖罪を果たす為ならたとえどんなことを命じられてもエドワードは否と言わないだろう。この一年で手を汚す決意さえ固めた。
 などと深刻な顔をして考えていても、現状はと言えばとても暢気なものだ。

(そもそも何で同じベッドで、しかも抱き枕よろしく抱えられて寝てなきゃいけないわけ?)

 どうにもロイの思考が理解ができない。
 確か昨日は夕食を三人で食べて、ロイが暇潰しにと貸してくれた専門書を読んで……。

(……アレ? それからどうしたんだっけ?)

 だが思い出そうにもそこで記憶は途切れている。と、いうことは。

(うわっ、俺、もしかしてそのまま寝ちゃったってヤツ!? アルからも散々釘さされてたってのに!!)

 限界が来る前にちゃんと食べて寝ること。口をすっぱくしてアルフォンスがいつも言っていることだ。意図的に忘れていたわけではないが、本に夢中になるあまり結果的に忘れたと言う方が正しいだろう。今回の場合は。

(うわぁ……、俺ってヤツは……)






 エドワードが一人で百面相しているのを、ロイはしっかり見ていた。彼は自分の思考にどっぷりと嵌り込んでいて気付いていないようだが、実はかなり前から目が覚めていた。こうして見ているとやはり十二歳の子供らしい表情を持っているのだなと思う。目を奪われたのは焔を宿した強い双眸だったけれど、こういうのも悪くない。

 天才であった故に奪われた未来、それを彼は嘆いたことはないのだろうか。なまじ天与の才を持っていたからこそ踏み込むことができた禁忌の領域。だが同時にそれはエドワードから、普通の子供として送ることが許されたであろう時間を奪い取った。

 何よりも自由が似合うのであろう小さな子供を鎖に繋ごうとしているのは、ロイのエゴの為だと判ってはいる。これから受ける、合格確実であろう試験が終われば契約は成される。ここまで来て逃げることは、ロイにもエドワードにも許されていない。
 けれど。

(私らしくないな)

 小さく溜息をつくと、やっとロイが起きていたことに気付いたのかエドワードが顔を真っ赤にして怒鳴った。

「起きてんならさっさと離せよッ!」
「おはよう。朝から君は無駄に元気だね」

 それまで考えていたことを微塵も表に出さずロイは笑う。それはエドワード曰く、相当に胡散臭い笑みで。
 エドワードが求めるままに腕を緩めると、彼はすぐさまベッドから飛び降りロイから距離を取った。それに些か残念だと思いながらも、完璧な外面は崩さないのが大人のやり方だ。

「ったく、何で一緒に寝てんだよ?」
「それは君がだね……」

 夕べベッドに運ぼうと抱き上げたらエドワードの生身の手がロイのシャツを掴んで離さなかったのだ、そう事実を告げようとしたが結局それを口にすることはなかった。絶対に離さない、そう言っていたような小さな手が縋っているような気がして。放って置けなかったのだと言おうとしたけれど。
 何故だか告げてしまうのは酷く勿体無いような気がして。

「君の寝顔に思わず私も睡魔の強襲を受けたからだよ」
「! アホかッ!」
「酷いな。子供の体温は抱き枕に丁度いいだろう? しかも君はサイズも丁度いいし」
「誰が小枕サイズのドチビだっ!!」

 激昂、まさにその表現こそが相応しいエドワードの表情に、ロイは瞳を眇めて笑う。そうだ、この子供はこんな顔をしている方がいい。弱さを見せるのはこれから先、きっと彼の為にはならないから。ふてぶてしく笑って、強気な言葉を思いっきり口にして、誰にも弱みなど悟らせずに進むといい。
 そうでなければ軍部でなど生き残れはしないのだ。

 時計で時間を確認し、ロイも優雅な身のこなしでベッドから降りた。そしてゆったりと
エドワードに近付きその見事な金の頭を撫でる。
 子供扱いなんかするなと彼は喚いたけれど。

(いつか私にだけ背中を預けて欲しいものだな)

 そう思ったこと。それこそがこの恋の始まりの合図。



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