金色の闇
 彼の瞳に宿った貴い焔。
 それが物語の始まり。






 彼にしては非常に珍しく、ただ己の感情の突き動かすままに少年の胸倉を掴んだ。そして彼を見上げることもなくされるがままになっている車椅子の子供に怒鳴る。

「君達の家に行ったぞ! 何だあの有様は!? 何を作った!?」

 声音の苛烈さに、小さな子供の肩が僅かに震えた。ほんの僅か、それはきっと手を触れているロイにしか判らない微かな反応で。
 その反応から、少年が逃避はしていても声が聞こえていることを知る。だからこそ追及の手を止めず、それどころか子供の細い顎を強引に掴み上げて無理矢理視線を合わせた。

 深い深い、昏い虚無を宿した瞳。ただ閉ざされた感情だけを映し出す無機質な瞳。
 それがまるで以前の己の姿のようにも思えて、ロイは僅かに眉を寄せる。そう、数年前の自分も確かに同じような瞳をしていた。生気の欠片もない、死人のような瞳を。
 勿論直接的な原因は違うが……。

 問うまでもなく同じ錬金術師であるロイには、この子供が何をしたのか大体の予測が出来ていた。禁忌であり最高の知識と技術を要求される人体錬成……その構築式を錬成陣をこんなに幼い子供が組み立てたとは俄かには信じ難かったが。

 尚もロイが口を開こうとした時、それまで全く意識を向けていなかった金属の塊が動いた。よくよく思い出せば、ロイがロックベル家に足を踏み入れた時に少年の車椅子を押していたのは鎧の大男だったのだが。

「ごめんなさい、ごめんなさい……、許して下さい……」

 姿に似つかわしくない、か細く震えた声。それはまだ変声期の訪れていない少年特有のものだった。驚きを隠せず、ロイは視線を車椅子の少年の後ろに立つ鎧に向ける。
 金の髪の少年に対する攻撃を止めようとするかのように、大きな金属の手がロイの腕に触れた。

(これは、まさか……)

 二メートルを優に越える大きな鎧から漏れる、本来ならば体格的に有り得ない細く小さな泣いているような声。

(エルリック兄弟……)

 唐突に、ロイは事態を理解した。こうなるとむしろ考えられることは一つしかない。いや、むしろ何故最初から違和感に気付かなかったのかとおかしくさえある。一般民家の、さして広くもないリビングの中央に、何の理由もなく邪魔でしかない鎧が置かれている筈などないのだ。

 ……それだけ頭に血が上っていて他のことは目に入らなかった、つまりはそういうことだろう。

「魂の錬成、か」

 思わず漏れた声に、賞賛の響きが混じるのも無理からぬことだった。若干十一歳の少年が成し遂げた奇跡とも執念とも言うべき錬成を目の前にして、同類であるロイに他に何が言えるだろう?

 それと同時に湧き上がったのは、軍人としての打算だった。
 この子供の才能は使える。使い方さえ誤らなければ有用な手駒になるだろう。
 子供から手を離し、ロイは深くソファへと腰掛けた。そしてかつてないほどめまぐるしく計算を巡らせる。片手片足を失い虚無の泉に身を沈めている少年が立ち直るには、恐らく長い長い時間が必要になるだろう。だが十一歳という今の年齢を考えるならば、多少待たされることなど問題ではない。
 ロイ自身の野望の為に、彼を利用するつもりであれば尚更だ。
 書類不備に感謝したくなってきた。

 表情を緩めいきなり国家錬金術師の話を始めたロイに対し、鎧姿のアルフォンスも二人の保護者であるピナコも口を挟めなかった。ただ少年だけが世界から切り離されたかのように微動だにしない。

「私は提案する。弟と二人絶望のうちに生を終えるか。それとも特権と引き替えに軍に頭を垂れ、全てを取り戻すことに賭けるか。選ぶのは君達だ」

 瞬間、それまで自分からは動くこともしなかった子供が顔を上げ、真っ直ぐロイを見据えた。触れ合う視線から、熱が伝わる。
 少年の瞳が輝く黄金色であることを、この時になって初めてロイは知った。そこに宿る明確な意志、それこそが決意と覚悟の焔。
 思わず、見惚れた。それくらい美しい色だった。






 名刺と連絡先を書いた紙を残してロイが東方司令部へ戻って行ったその晩、エドワードは翻せぬ決意を胸にピナコへ言った。

「俺は国家錬金術師になる。だから俺に、自由に動ける手足をくれ」
「……決めたんだね?」
「ああ。絶対にアルと二人で元に戻る。その為だったら軍の狗にだって何だってなってやるさ」

 この姿になってから誰も、エドワードを責めるようなことは言わなかった。子供だから、辛い目に遭ったのだから、そんな言葉を与えるだけで、誰一人責めるようなことはしなかった。……けれど。

 ロイだけは違った。真っ直ぐにエドワードを見据え、容赦のない言葉の刃を突き立てた。
それが純粋に嬉しかったのだとはアルフォンスにさえも言えないことだけれど。

 誰よりもエドワードを責めてしかるべき弟は、何一つ恨み言を言わないから。だからこそ改めて誓う。仮初めの鎧に魂のみを宿した弟へ、贖罪を。

「待ってろよ、アル。絶対元に戻してやるからな!」
「うん。でもその時は兄さんも一緒だよ?」
「……ああ、絶対だ」

 頷き、エドワードは瞼を閉じた。鮮やかに焼き付いているのは青と黒。闇に沈んでいた意識を急激に現実へと引き戻した二つの色彩。
 本当は感謝すべきなのかもしれない。

「けど礼なんて死んでも言ってやらねー」

 小さく呟いたその顔には、微かな笑みが浮かんでいた。



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